第20週 水曜日 教育者・学者 湯川スミ
13人目の教育者は日本人初のノーベル賞受賞者湯川秀樹の妻で世界連邦運動協会名誉会長、世界連邦全国婦人協議会会長、WFM名誉会長、世界連邦京都婦人の会会長などを務められた湯川スミさんです。
湯川 スミ(ゆかわ すみ)さんは1910年4月25日医師・湯川玄洋氏と母みちさんの次女として大阪市東区内淡路町にお生まれになりました。
お母さんは和歌山県日高郡日高町の出身だそうです。
1928年 大阪府立大手前高等女学校本科(現・大阪府立大手前高等学校)を卒業されます
1932年 小川秀樹氏と結婚されます、秀樹氏は入り婿となり湯川に改姓されます。
1933年 長男春洋氏を出産されます。
1934年 次男高秋氏を出産されます。
1949年秀樹氏がノーベル賞を受賞されます。
1956年 世界連邦京都婦人の会を設立されます。“世界平和実現のためにはこの道しかなし”と秀樹氏が確信のもとに創り出された世界連邦を成立する活動する活動です。現在ももちろんあります。
1958年 世界連邦全国婦人協議会会長につかれます。
1963年 世界連邦建設同盟会長につかれます。
1966年 ダームコマンデール勲章を受賞されます。
1977年 同名誉会長につかれます。
1981年秀樹氏が亡くなられます。
1988年 WFM名誉会長につかれます。
1996年 に世界連邦運動協会名誉会長につかれます。
2006年湯川 スミさんは96歳で胃癌により死去されます。
著書に以下の2冊があります。
『苦楽の園』講談社 1976年
めぐめぐがすごいと思う湯川スミさんのこと
1夫の秀樹氏をノーベル賞で認められるまでずっと支えられたこと。
2その後秀樹氏と共に反核活動に関わられ、世界連邦活動に関わられたこと
3秀樹氏が亡くなられてからも、その後も世界連邦活動を続けられ世界平和のために尽力されたこと。