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第15週 木曜日 作家・歌人・漫画家 祐子内親王家紀伊
15人目の作家・歌人・漫画家は百人一首の歌人祐子内親王家紀伊です。
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけ の きい)の生没年不詳は分かっていません。一宮紀伊、紀伊君とも呼ばれます。
平安時代院政期の日本の女流歌人で、後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房を務めていたことが知られています。
また両親についても確かではありません。
父親については 従五位上民部大輔春宮亮平経方の娘とも、
藤原師長の娘である堀河院御乳母典侍紀伊三位師子と同一人物ともいわれて
いるそうです。
また母親については「岩垣沼の中将」の作者祐子内親王家小弁(こべん)。紀伊守藤原重経(素意法師)は兄または夫の可能性が強いことが分かっています。
このように母と同じく祐子内親王家に出仕したこと以外は、伝記的情報はほとんど知られていないそうです。
また歌人としての活動は、永久元年(1113年)「少納言定通歌合」への出詠まで確認されています。
明治時代、大久保利通が読んだの詠として、
音に聞く高師の浜のはま松も世のあだ波はのがれざりけり
があります。
これは高師の浜(現在の浜寺公園付近)の松が薪や材木として伐採されることを嘆いた歌です。
これは紀伊の歌(百人一首72番)
音にきくたかしのはまのあた波は かけしや袖のぬれもこそすれ
の本歌取りであることが知られています。
ここには現在『惜松碑』と呼ばれる石碑が建てられているそうです。
さて 百人一首 72番の歌です。
音にきくたかしのはまのあた波は かけしや袖のぬれもこそすれ
この歌は『金葉和歌集』 巻第八 恋歌下に入っています。
現代訳にすると
噂に高い、高師(たかし)の浜にむなしく寄せ返す波にはかからないようにしておきましょう。袖が濡れては大変ですからね。(浮気者だと噂に高い、あなたの言葉なぞ、心にかけずにおきましょう。後で涙にくれて袖を濡らしてはいけませんから)
という意味です。
この歌は1102年5月に催された「堀川院艶書合(けそうぶみあわせ)」で詠まれたそうです。「艶書合」というのは、貴族が恋の歌を女房に贈り、それを受けた女房たちが返歌をするという洒落た趣向の歌会です。
そこで老齢の紀伊に贈られたのが29歳の藤原俊忠の歌でした。
「人知れぬ 思いありその 浦風に 波のよるこそ 言はまほしけれ」
(私は人知れずあなたを思っています。荒磯(ありそ)の浦風に波が寄せるように、夜にあなたに話したいのですが)
「寄る」と「夜」、「(思い)ありその」と「荒磯(ありそ)」を掛けた技巧的な歌ですが、これに対して答えたのが、紀伊の歌でした。
29歳の若き俊忠が老齢の女房・紀伊に恋歌を贈るというのはちょっと皮肉な感じもします。周りも面白がったのかもしれませんが、そこでこんな素晴らしく粋な歌を返されて、俊忠や歌会の参加者はどう思ったでしょうか。70歳の老女の歌の才能に思わず息をのみ、感嘆して、そのため現在にまで伝えられているのではないかなと思いました。
めぐめぐがすごいと思う祐子内親王家紀伊のこと
1ほとんど伝記的なことが伝わっておらず、百人一首に載った歌だけで今日まで知られていること。
2またその歌を詠んだ歌会でも、自分の年齢を気にせず堂々と自分の歌を披露していること。
3そしてその歌は明治時代に大久保利通によって本歌取りされるなど、長い間その高浜の地と結びついて愛されたこと。
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