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はじめに

今日の女性は女性で洋画家の三岸節子さんです。


三岸節子さんのご生涯




三岸 節子(みぎし せつこ)さんは1905年1月3日愛知県中島郡起町(現・一宮市小信中島)の織物工場を営む裕福な家の十人兄弟の6番目(4女)に生まれられました。

父は吉田永三郎氏、母は菊さん。お母さんの菊は、安政の大獄で死罪となった水戸藩士・鵜飼吉左衛門(幼名は菊三郎)氏の一族であったそうです(節子生家近くの頓聴寺住職も鵜飼家の人物であった)。

しかし、吉田家は不況のあおりで倒産したそうです。

節子さんは先天性股関節脱臼(現・発育性股関節形成不全)を患っており、両親に抑圧されて育った節子さん、この大きなショックから当時興味を抱いていた絵の道へと向かっていかれたそうです。


節子さんは名古屋市の淑徳高等女学校(現・愛知淑徳高等学校)卒業後、日本画をすすめる両親を説得したうえで洋画を学ぶために上京され、本郷洋画研究所で岡田三郎助氏に師事されます。

女子美術学校(現・女子美術大学)の2年次に編入学し、首席で卒業されます。

1924年に三岸好太郎氏と結婚され、25年に長女、28年に次女、1930年に長男黄太郎氏を出産されるも、1934年に夫と死別したされます。

節子さんは生活は苦しかったが、太平洋戦争中も疎開せず、明るい色調の静物画を多数描いたそうです。

1946年、女流画家協会を創立されます。女流画家協会(じょりゅうがかきょうかい)は日本の美術団体で「女流画家の団結により芸術的向上を図り,また新人の登竜門としての意味を以て展覧会を計画す」として桂ユキ子さん,雑賀文子さん,佐伯米子さん,桜井悦さん,桜井浜江さん,遠山陽子さん,仲田菊代さん,中谷ミユキさん,藤川栄子さん,森田元子さんの11名の発起人と共に創立されています。

女流画家協会は1947年開催の第1回より年1回女流画家協会展を開催していて、例年5月から6月にかけて上野の森美術館で女流画家協会展を開催しています。


1948年から菅野圭介氏と事実上の婚約関係にあったが、1953年に破局したそうです。

1954年、息子の黄太郎が留学していたフランスに渡られ、1968年には南フランスのカーニュに、1974年にはブルゴーニュ地方の農村ヴェロン(英語版)に定住されます。

黄太郎氏とともにヨーロッパの各地を巡って風景画の傑作を生み出し、言葉の通じない異国での孤独感や老化による体の衰えと闘いながら絵を描き続けられました。

1989年84歳で帰国され、以後は1999年94歳で亡くなられるまで神奈川県大磯町の自宅兼アトリエにて制作を続けました。


三岸節子さんの年譜は以下の通りです。


年譜
1905年 愛知県中島郡起町字中島に生まれる。
1924年 三岸好太郎と結婚。
1925年 「婦人洋画会」結成。長女誕生。
1928年 次女誕生。
1930年 夫の好太郎とともに独立美術協会設立に参加するも内規により会員にはなれなかった。長男誕生。
1934年 好太郎と死別。
1936年 佐伯米子、長谷川春子ら6人の女性画家とともに七彩会を結成。
1938年 独立美術協会を脱退、翌年新制作協会に参加。
1947年 「女流画家協会」創立の発起人となるもその後脱退。
1948年 菅野圭介と別居結婚。
1951年 第一回芸能選奨(現・芸術選奨)文部大臣賞を受賞。
1953年 菅野圭介と離婚。
1968年 フランスへ移住。
1986年 秋の叙勲で勲三等宝冠章を受章。
1988年 尾西市の名誉市民に推挙される。
1989年 フランスから帰国し、大磯のアトリエに定住。
1990年 朝日賞を受賞。
1994年 女性洋画家として初めて文化功労者となる。
1998年 市は第三者の手に渡っていた節子の生家跡を買い取って三岸節子記念美術館を建設し、11月3日に開館した。
1999年 急性循環不全のため、大磯の病院で94歳で死去。

三岸節子さんの作品



主要作品
1974 第6回潮展(銀座・三越)
「スペインの白い町」 - 1972年(昭和47年)
「飛ぶ鳥」 - 1973年(昭和48年)
1974 花とヴェネチア展(日本橋・三越)
「下弦の月」 - 1973年(昭和48年)
「石だたみ」 - 1973年(昭和48年)
「プチカナル」 - 1973年(昭和48年)
「霧」 - 1973年(昭和48年)
「ヴェネチアの家」 - 1973年(昭和48年)
「細い運河」 - 1973年(昭和48年)
「ヴェネチア」 - 1973年(昭和48年)
「花(3)」 - 1973年(昭和48年)
「花(10)」 - 1973年(昭和48年)
1980 三岸節子展<画業55年の歩み>(日本橋・三越)
「崎津の天主堂」 - 1956年(昭和31年)
「飛ぶ鳥(火の山にて)」 - 1962年(昭和37年)
「村落の地図」 - 1979年(昭和54年)
「赤い土」 - 1979年(昭和54年)
1989 三岸節子展(日本橋・三越)
「崖の上(アンダルシアの)」 - 1987年(昭和62年)
「イル・サンルイの秋」 - 1987年(昭和62年)
「小さな村」 - 1988年(昭和63年)
「アルカディア」 - 1988年(昭和63年)
「春遠からじ」 - 1979-88年(昭和54-63年)
「タオルミナのテアトルより」 - 1989年(平成元年)
「花 ヴェロンにて」 - 1989年(平成元年)(同題3作)
[10]
1998 パリ展帰国記念 三岸節子展(日本橋・三越)
「さいたさいたさくらがさいた」- 1998年(平成10年)

出展不明作品
「自画像」- 1924年(大正11年)
「小さな町(スペインのアンダルシア)」- 1987年(昭和62年)
くちなし



三岸節子さんの画風について


節子さんは当時の社会にあった女性らしい作品像の押し付けに反発し、アンリ・マティスやピエール・ボナール、ジョルジュ・ブラックなど近代フランスの絵画を取り入れた作風であったと評価されています。
 また節子さんの作品の中には“花”という名前の作品がいくつも残されているそうです。節子さんにとって花とは生命力を感じさせるもの。花を愛し、生涯に渡り描き続けられました。

花の作品からは節子さんの人生がうかがえるほど作品が変化しているそうです。

1950年代までは花瓶に挿した花を画面全体に描いている。当時は日本にいたため室内画が多いそうです。

1970年代からは(フランス)の庭にある花を描いておられます。

この頃は海外に舞台を移したことにより、風景画を描くようになったそうです。

三岸節子さんの著書


三岸節子『美神の翼 随筆集』朝日新聞社、1949年。全国書誌番号:60011030。 のち求龍堂
三岸節子『三岸節子』美術出版社〈日本現代画家選 第8〉、1954年。全国書誌番号:54010748。
三岸節子『花より花らしく』求龍堂、1977年6月。全国書誌番号:78001945。 のちちくま文庫
三岸節子『三岸節子画集 [第1集] (1925-1979)』求龍堂、1980年2月。全国書誌番号:82024189。
三岸節子『三岸節子画集 [第2集] (1938-1980)』求龍堂、1981年9月。全国書誌番号:82024190。
三岸節子『黄色い手帖』求龍堂、1983年2月。全国書誌番号:84015083。 のちちくま文庫
三岸節子『三岸節子 花のデッサン帖』求龍堂、1984年3月。全国書誌番号:85002021。ISBN 476308402X。
三岸節子『三岸節子画集1990』求龍堂、1990年11月。ISBN 4763090186。
三岸節子『三岸節子作品集』ビジョン企画出版社、1991年4月。全国書誌番号:92026503。ISBN 4-938249-12-X。
三岸節子『未完の花 三岸節子画文集』求龍堂、1994年7月。全国書誌番号:94062779。ISBN 4763094181。
三岸節子『花こそわが命 三岸節子自選画文集』求龍堂、1996年10月。全国書誌番号:97072523。ISBN 4-7630-9630-3。
三岸節子『旅へのいざない 三岸節子ヨーロッパデッサン集 1954-1989』求龍堂、1997年4月。全国書誌番号:98037090。ISBN 4763097105。

めぐめぐがすごいと思う三岸節子さんのこと

1人生の辛い時期が何度もあってもずっと絵を描き続けられたこと

2美術界でどんなにつらい目に合っても絵を描き続けられたこと

3そして女性として生き、自分の生き方を絵に描かれていること

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めぐめぐ@日本の女性の人生を記事にして書いています。
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