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第33週 歴史上の女性 山野愛子


はじめに


今週の歴史上の女性は女性美容家の 山野愛子 さんです。




お生まれとご家族






山野愛子(やまの あいこ)さんは、1909年1月20日 東京の向島にお父さん・弥太郎氏、お母さん・すえさんの末っ子としてお生まれになりました。


実家は東京・向島で洋食食堂を経営していたおられたそうです。

お父さんは愛人のもとに入りびたりで、そんなお父さんの姿を見て、お母さんはことあるごとに、「これからは女も自立する時代」と愛子さんに説いておられたそうです。


愛子さん夫の山野治一氏(じいち)は逓信省(現在の日本郵政株式会社)勤務されていたそうです。
次男に山野凱章氏(美容用品綜合商社株式会社ヤマノ元取締役,2007年死去)がおられ、凱章氏と前妻・マダム路子さんの間に二男(品川一治氏・品川祐氏)・二女がいらっしゃいます。
長男の娘の一人が後継者となった山野愛子ジェーンさんだそうです。


美容家としてのキャリア


1923年 関東大震災が起きた時の女性被災者のみすぼらしい姿をみて、美容の大切さを痛感されます。


1925年向島で御結髪 山野結髪所を開業します。

愛子さんは日本初のパーマ指導技術者でもあり、日本にパーマ技術を普及させます。


1934年日本橋蛎殻町に山野美粧院、そして東京・中野に山野美容講習所(現在の山野美容専門学校)を開設されます。

1954年日本美容師総連合会会長に就任されます。

1957年愛子さんは世界を旅し、ドイツのバイエルン地方でクレー(泥)に出会われます。これが山野愛子どろんこ美容を作るきっかけになります。



1961年ロサンゼルスにヤマノ・ビューティカレッジを開設され校長に就任されます。


1963年に富士山麓に日本最初のサウナ風呂と全身美容室を開設されます。


1967年藍綬褒章を受章されます。

1971年ホームケア用の「どろんこ化粧品(クレーオリジナル)」が誕生します。


1977年8月3日を「ハサミの日」とすることを提唱されます。以後毎年8月3日に東京・増上寺で「ハサミ供養」が行われています。



1980年勲三等瑞宝章を受章されます。

1984年2代目として山野愛子ジェーンさんに継承されます。

1992年山野美容芸術短期大学を設立し、初代学長に就任されます。

1995年に死去されます。享年86歳でした。

2006年日本テレビ系列「火曜ドラマゴールド」で自伝番組『伝説の美容師 山野愛子物語』が放送されました。主演は水野真紀さんでした。


山野愛子さんが大切にされたこと


山野愛子さんは 「髪」「顔」「装い」「精神美」「健康美」の『美道五原則』を生涯をかけた美容人生において変わらず提唱し続けられました。

髪はつやのある髪とヘアスタイル。

顔は美しい素肌と魅力を引き出すメイクアップ

装い TPOに合わせた装い

精神美 すべてを前向きにとらえる素直な心や包容力

健康美 バランスのとれや食生活と健康な体

だそうです。

こうして内面と外面の5つの美が伴い、相互に影響し合ってこそ、はじめて人間本来の美しさが形成されると考えられていました。

ミス・インターナショナル、ミス・ワールドの審査員でもこのような点から審査されていたと思います。




山野愛子さん及び弟子の書いた著書


主な著書 には以下の本があります。



和装関係 編集
『山野流 美しい着装のすべて』 主婦と生活社、1973年
『山野愛子のきもの着つけ入門』 主婦の友社、1972年
『山野愛子の帯結び入門』 主婦の友社、1982年
『山野愛子の着装と帯むすび』 婦人画報社、1985年
美容関係 編集
『山野愛子のベストロングヘア』 婦人画報社、1985年


山野愛子さんの作られた学校のサイト集



学校法人山野学苑



山野美容専門学校



山野美容芸術短期大学



外部リンク 編集
山野愛子公式サイト


めぐめぐがすごいと思う山野愛子さんのこと


1お母さんの自立しなければいけないという教えを人生をかけて貫き

日本女性を美しくする多くの学校を作られたこと

2女性が本当に美しくなることを生涯かけて貫かれ、その理念を今日まで多くの人に伝える基盤を作られたこと。

3様々な賞を受けられても、生涯最後まで新しいことに挑戦され続けられたこと。


私ももう少し6つの美を意識して普段過ごしたいと思いました。


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