第17週 水曜日 教育者・学者 大妻 コタカ
17人目の教育者は 女子教育者の大妻コタカさんです。
大妻 コタカ(おおつま コタカ)さんは1884年6月21日 広島県世羅郡甲山町(現在の世羅町)に熊田コトカさんとしてお生まれになりました。
生家は甲山町(現在の世羅町)の伊尾地区にあったが、同地区に三川ダムが建設されたため水没することになったそうです。
そのためダムの人造湖「神農湖」湖畔に移築され保存展示されています
また敷地内には、大妻女子大学の同窓会等が集めた浄財によって彼女の銅像が建立されています。
コタカという名前の由来は、6月の農繁期に6人兄弟の末っ子として生まれた女児であったため、「忙しい時に『困った児』」が訛ったものだそうです。
農繁期であったため、出生届の提出が遅れ、入籍されたのは11月20日になったそうです。
ですので大妻コタカさんは生前「私には年に2回の誕生日がある」と話しておられました。
現在、この11月20日が大妻学院の学校記念日とされています。
コタカさんは3歳で父を14歳で母を亡されます。
1901年、広島県立高等女学校(現広島皆実高校)卒業されます。
その後当初、物理と数学を学ぶことを志したが、兄に「女は手芸裁縫を学ぶもの」と反対されたため、家出し上京されます。そして
叔父宅へ寄宿し和洋裁縫女学校(現和洋女子大学)に入学されます。
卒業後、東京府の教員養成所(現東京学芸大学)、神奈川の女子師範学校(現横浜国立大学)などに学び卒業後、都下の学校で教鞭をとられるようになります。
1907年、宮内省御陵係・大妻良馬氏と結婚。大妻姓となられます。
軍人の家庭の仕立て物を縫わせてもらったのが切っ掛けで、好きな瓶細工や袋物の手芸などを近所の娘さんたちに手ほどきされるようになります。
1908年、夫が山階宮家勤めとなり、宮家の中にある家に移られます。
コタカさんはこの場所で大妻学院の前身となる縫製・手芸の家塾を開設されます。
当初近所の子供を集めた10数人の私塾だったそうですが、コタカさんの
教授法は好評で、また女子教育普及の波に乗り生徒数が増加の一途をたどり1916年、大妻技芸伝習所、1917年、麹町に私立大妻技芸学校開校、1919年、高等女学校に発展します。
こうして戦前の良妻賢母教育の代表といわれた。
また五尺帯、半反でできる服やツーピースの着物、風呂敷を三角にした戦時袋などを考案して評判を呼びます。
1927年から1932年にかけて和服のたち方縫い方、手芸などを分かりやすく図で説明した本を次々出版、30万部、50万部などと売上げ、当時としては驚異的なベストセラーとなったそうです。
その後高等技芸科、高等家政科を増設されます。
また大妻氏が急性肺炎で亡くなり、子宝にも恵まれなかったこともあり、コタカさんは学校経営に情熱を注がれました。
1942年、大妻女子専門学校と改称します。
戦時中に国粋主義的な婦人団体の幹部として活躍したり、戦意昂揚の講演などを行っていたとして戦後は教職追放令により学校を追われます。
1949年解除後校長に復帰されます。
大学から中学まである大妻学院に女手一本で育て上げられました。
1949年、大妻女子大学に昇格、家政学部に被服、食物、家庭理学の各科を設置。また校長、学長を歴任されました。
コタカさんの教育方針は和裁を中心に良妻賢母の養成でした。
また家事評論家としても活躍、関連雑誌の評論他、文部省認定の「現代裁縫全書」、「模範裁縫教科書」、「新選裁縫教科書」など裁縫、手芸に関する多くの著書を書かれました。
その他自著「ごもくめし」(1962年)、「大妻コタカ」上田高昭著(1967年)、「近代日本の女性史 第9巻 大妻コタカ」安西篤子著(1981年)などの関連書籍があります。
1954年、藍綬褒章受章を受賞されます。
1964年、第1回生存者叙勲で女子教育者としては初めて勲三等宝冠章を受章されます。
1970年、住み慣れた東京三番町で長逝されます。85歳。従四位勲二等瑞宝章を受章されています。
大妻コタカさんの著書には以下のものがあります。
『礼儀作法』婦女界社、1924年
『最新家庭向洗濯と汚点ぬきの仕方』大妻同窓会出版部、1925年
『婦人毎日の心得』天真閣、1926年
『最新實用 家事全書』研文書院、1937年
『家庭洋裁入門講座』婦人画報社、1949年
『ごもくめし』大妻女子大学、1961年
『和裁講座 図解説明 初歩より奥義まで 』日本女子教育会、1965年
『新しい和裁教室 基礎から大裁ち仕立て方まで』永岡書店、1968年
『新しい和裁全書 仕立て方から和装の知識』永岡書店、1975年
以下の伝記があります。
めぐめぐがすごいと思う大妻コタカさんのこと
1ある意味日本の母の在り方の理想を創り上げた方であること
2自分で始めた小さな私塾を中学から大学までの女子教育機関として発展されたこと。
3今でもその著書が買え、和裁の基本となっていること
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