megumi

1974生まれ 外資等のアパレルに約12年勤務。2002年頃からバッグや洋服をつくっています。映画と音楽と彷徨い好き。 https://hana.watasinolife.net/

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最近の記事

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わたしの服作り記 '20〜

「服を作ったりしてます」というと大抵の方が「へー、じゃあ服飾の学校とか行ってたんですか?」 と云われます。 「いえ、学校は行ってません」というと「へー、じゃあ我流ですか?」と返ってきます。「まあそんな感じです」と答えるあたりで正直ああめんどくさいなとなってきます。『服は学校を出ないと作れないもの』とゆう、多くの人がもっているであろう固定概念に、これまで幾度も出くわしてきました。 昨年少しの間Y'sに居たときのこと。社員の方達と服の話をしたりヨージ氏の現況も教えて頂けたり服を

    • ラグジュアリーと消費者のあいだにあるもの

      今日はラグジュアリーブランドについて思うところを書こうと思います。 現在のラグジュアリーブランドにはほぼ興味がありません。なぜなら本来の価値の一つであるブランドの背景と歴史をインフルエンサーを始めとするマーケティングが上回ってしまって、ラグジュアリー=ラグジュアリービジネスという印象しか今は覚えないから。でもビジネスはそういうものと思っています。食うか食われるかの世界。 わたしは数年前、某日本橋高島屋の某ラグジュアリーブランドで一年半程働いていました。日本橋高島屋という百

      • 民藝の美とやさしさ

        ここ千葉県の我孫子市という土地に引っ越して早20年になる。その前は同じ千葉県の船橋市で1年半ほど社宅暮らしをしていた。 長男が4歳、長女が1歳になる頃、『家、買う?』ということになり探し始めて3件目に訪れた土地がこの我孫子だった。 岐阜の郡上市で18歳まで過ごした後、名古屋に3年、三重県に7年住み、元夫の転勤でピョーンと千葉に飛んでからはずっと千葉住みで、千葉県民歴は今年で22年。飛んで埼玉に常磐線が出てきたところで興奮してしまうぐらいにすっかり千葉県民である。 そんな

        • 自分という作品

          絵描きに肖像画を描かせて自分の存在を世に残していた時代があった。 宗教画、印象派、アールヌーボー、コルセットからの開放、ジャポニズム、現代までアートの概念は常に移り変わってきた。その時代に主流とされる概念を打ち砕くのはアーティストの役目で、だからこそ周囲に同調しながら生きるという思考をそもそも持ち合わせていない。社会に合わせて生きようとすればする程、苦しみは増す。それは歴史上の人物を見てみても、痛いほどよく解る。 しかしアーティストと呼ばれる人間だけが作品を残すのかと言っ

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        わたしの服作り記 '20〜

          映画「燃えるドレスを紡いで」

          映画を観ているあいだずっと半分泣いてた。 デザイナー中里唯馬主演「燃えるドレスを紡いで」 (監督:関根 光才 ) アフリカ・ケニアに世界中から集められる服のゴミ。 現地を訪れた中里氏はその現実に言葉をなくしていた。 そしてそこから得たものを形にしていくパッションと 葛藤に胸が熱くなった。 中里氏は日本人で二人目のパリ オートクチュールデザイナー。 日本人では唯一森英恵が参加していた。 彼にしかできない作品とその舞台裏を見せてもらい、 わたしが思ううつくしさとは何なのだろ

          映画「燃えるドレスを紡いで」

          好きなものは好き

          むかしから絡まったものを解くのが まったく苦じゃなかった 絡まった糸やひもを 解き終えたときの達成感は ほとんど快感に近い ※写真は木玉毛織さんのガラ紡から出来た(からいと)。 多分わたしは変わってるんだろうなと 小学生の頃から思っていた 同じクラスの女の子達が 月刊の少女マンガで応募すると 貰えるポーチや筆記用具を みなうれしそうに持っていた わたしはみなで同じものを 持って何がうれしいのか まったく解らなかった けどみんな同じものを持ちたがるのが

          好きなものは好き

          わたしをつくってきたもの

          大人はアホないきもの 中学3年の時。わたしはこう考えていた。 世の中では一般的に、高校を出て、大学を出てなるべく安定した企業に就職し、生活に不自由なく、いつか結婚し、子どもを産んで、家を買い、車や犬を手に入れ、よい教育を子どもに施し、仕事に於いても出世を果たし、尊敬を集め、慕われ、そこそこの資産を築き、海外旅行に行き、歳をとって子どもに気遣われ、そこそこの資産を子どもに残して死んでいく。テンプレ化された幸せはこれだと、そう思っていた。 まず、18歳から22歳まで、大学で

          わたしをつくってきたもの

          「いま、日本でパレスチナのために出来ること」

          29,124人。 10月から12月27日までの間にガザで虐殺された人の数。 うち子ども 11,422人  女性 5,822人  一般市民 26,706人  スイスのNPO法人Euro-Medより これは遠い国で起こっている自分に関係のない国の話だろうか。 違う。 今この瞬間にも、わたし達と同じ人間が虐殺されている。 だが欧米諸国のリーダーはこれを止めようとしない。 何故か? 資本という臍の緒で結ばれているからだ。 イスラエルが持つ潤沢な資金を着々と血肉にし丸々と肥えた

          「いま、日本でパレスチナのために出来ること」

          2023.12.25 Happy Xmas(War Is Over)

          物心ついた時から星を見るのが好きだった あの光は小さな点ではなく 星で銀河で星雲だったりする そう思うと途方もないものを見ている気持ちになる 地球は昨日クリスマスだった ケーキ屋さんに並ぶ長い列を横目に いつも通り野菜とヨーグルトなどを買う 地球のクリスマスとゆう慣わしは きっと子どもたちの為にあるのだろうなと思った ケーキやおもちゃやチキンが テーブルに並ぶ地球をあげた無礼講の日 子どもが小さかった頃は マライヤやワムをかけながらパーティーごっこをした 普段

          2023.12.25 Happy Xmas(War Is Over)

          着物とレコードと竹久夢二④

          夢二のイラストを目に焼き付けながら、それまで目を向けずにいたレコードの展示の前へと足を進めた。<↓前回の記事> これらは貴重なSPレコードの展示なのだそうだ。 SPレコードというものが何かも知らないまま、ジャケットの斬新さにただ目を凝らす。後で(というか今)調べてみるとSPレコードとは1950年頃まで作られていた蓄音機用のレコードなのだそう。蓄音機は映画で見たりして知っているが専用のレコードがあるのは知らなかった。 そしてなんとこのSPレコードという代物、虫の樹脂から出

          着物とレコードと竹久夢二④

          着物とレコードと竹久夢二③

          サイケデリックな銘仙に目を奪われながら、次の展示に進んだ。<↓前回の記事> 竹久夢二美術館と銘仙の展示がされている弥生美術館は館内で繋がっていて、銘仙の華やかな部屋の奥に、竹久夢二美術館への入り口がある。 何度か訪れているはずなのに不思議と初めて来るような感覚を覚えた。 銘仙という着物の放つ大胆でキッチュとも言えるパワフルさが、五感を麻痺させてしまったのだろうか。それぐらい銘仙と竹久夢二の描く世界はおよそ似つかわしくない。そういう意味でもこの展示は貴重なものだった。 ち

          着物とレコードと竹久夢二③

          着物とレコードと竹久夢二②

          さくっと銘仙を観るつもりが美術館を出る頃にはドスーンとパンチを喰らった気分になっていた。前回の記事:着物とレコードと竹久夢二① ともかく、銘仙という着物のサイケ振りにはたまげた。 銘仙は一昔前のカジュアル着とでも言うのだろうか。絣とも言われ鮮やかで大胆な色遣いや柄行きが特徴の着物だ。 ハートでかい。 花もでかい。 この柄戦前なんですよ。 昭和5〜8年頃のもの。 これらを学生が好んで着ていただなんて、なんと大胆な。笑 弾けてる! これは戦後でネオンをイメージした

          着物とレコードと竹久夢二②

          着物とレコードと竹久夢二①

          久しぶりに竹久夢二美術館へ 大正ロマンの画家と言われる竹久夢二が好きで、これまで何度か上野にある竹久夢二美術館に足を運んだ。 夢二の描く女性はみなどこか儚げで色が白く、華奢である。女性たちが纏っている着物や髪型も小粋でお洒落だ。繊細な色使いで表現された世界に触れるとただただうっとりする。 美術館ではそんな竹久夢二の作品が見られるのはもちろんだが、併設されている弥生美術館で今ちょうど「大正の夢、秘密の銘仙ものがたり展」とゆうものをやっているらしく、まともに陽の光も浴びてい

          着物とレコードと竹久夢二①

          わたしの自己紹介

          はじめまして。 クボメグミ と申します。 現在は千葉県でものづくり(布や紙、文筆や詩作など)をしている1974年生まれ乙女座の女です。 岐阜県出身で、商業高校を出てから18歳で名古屋にある小売業に新卒で入社。その後22歳に結婚し23歳の時に長男、26歳で長女を出産しました。 地元にいた頃は、家と村社会的な狭い世界から一刻も早く逃れたい思いで満ち満ちている子どもでした。ざっくり言うと、辛いことが多かった。その辺りのことはここでは書きたくないので省きますが、宜しければ自己紹介

          わたしの自己紹介