見出し画像

その刹那

tiny desk


tiny deskという番組で、小沢健二くんとスチャダラパーの30分一発撮りライブの映像を観ていたら
"ラブリー"の一節を聴いたとき、今まで一度も言語化して考えていなかったことが、とつぜん胸に迫ってきた。

ふだん、
どんなに機嫌よく笑っていても
たまに心の奥の小さな闇みたいなものが大きくなって、飲み込まれそうになる夜もある。
彼の歌には、いつも、それでもいいんだよ、って言われてる感じがするんだよなあ、という風に。

彗星と涙腺

以前、初めて"彗星"という曲を聴いたとき
私はそれまで自分のことを、結構ちゃらっとしてふざけて冗談ばっかり言いながら生きてきたと思っていた。
でも
全力疾走と歌われたとき
そうなの! と思って一瞬で涙腺が決壊していた。

たぶんそれまでは、誰にそう言われても、私は全力で走ったりしてないよ、と否定していたと思う。
親に昔、私が結構苦手な業務についていた時、気を張ってやってると思うんだと言われた時も、そんなことないよと言っていた。
でも実はその時も、遡って学生時代も、ずっと必死で生きてきていた側面がたしかにあった、そのことを"彗星"を聴いた瞬間、初めて、僕たち皆そうだったよねと言われた気がして涙が出た感じだったのだ。

軌跡と奇跡


若い時代に、それこそ彗星みたいにひゅんと心に入ってきたのが、彼の"愛し愛されて生きるのさ"と、そのカップリングの"東京恋愛専科"という曲たちだった。
当時の色んな出来事については、90年代という時代と、私の生来の気質がおおいに関係していたのだなと、最近になってすべての辻褄が合うようなことがあった。
それでここ数日、当時に思いを馳せて少し考え込んだりしていたのだが、
今回、tiny deskでのライブを観て、そのメロディと歌詞が一緒になった心地よいグルーブの中にいた時、やっとたどり着いた心境があった。

良いではないか。
自分の人生は、若い頃の喜怒哀楽から、今やっている編みものまで、私の中では螺旋みたいにつながっている。
転んだりケガしたり泣いたり、起き上がって笑ったりしてずっと人生という旅をしてきて、そして今、編みもののパターンを作っている。
それは私にとって、その道程の先にあったこととはいえ、反面、ちょっと奇跡的なことだった。たぶん、20代の自分が今の私のことを聞いても絶対に信じないだろうなというくらいには。

フェリーニの『道』という大好きな映画の中で、主人公のジェルソミーナが友達から言われる言葉がある。
この世の中にあるものは何かの役に立つんだ。
たとえば(足元に落ちてる)この石だ。
俺には小石がなんの役に立つかわからん。
何かの役に立つ。
これが無益ならすべて無益だ。
夜空の星だって同じだと俺は思う。
おまえだって何かの役に立ってる。
・・・映画の台詞は記憶で書いているため、微妙に違っているかもしれません・・・

もしかしたらそれとほんの少し似ているかもしれないと初めて思った。
自分は役に立たないと思っていた若い頃の長い時間があって、でも、もしかしたらまったく無益ではなかったのかもしれない。その後、役に立つこともあるかもと挑戦したり、がんばってがんばった後で結婚して編みものを見つけ、続けてきた今、当時得た技術や人間関係に助けられることだってたくさんあるのだから。

Life is...

何度も転んで、時間がかかってもいいから毎回立ち上がる。
人生は戻ってくるって、底のところにいるときはわからないけれど、名曲"ラブリー"で英語で歌われているその歌詞みたいな、そんな側面はほんとうにあり、ゆっくり進んだその先で、気づけば取り戻していたりする。

そしてこれからも歩いていくんだ。

小沢健二くん、スチャダラパーの皆さん、どうもありがとう。
宝物みたいな、ずっと心に残る、きらきら光るようなライブでした。

"痛快ウキウキ通り"にも歌われているプラダの靴は、OL時代の憧れの象徴。15年以上前に購入してたくさん履いたプラダスポーツのドライビングシューズが滑るようになり、先日の同窓会で履いたのを最後のご奉仕としました。多くの場面をともにして、今までありがとうねって気持ちです。

いいなと思ったら応援しよう!