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生と死。


生まれてもうすぐ40年になろうとしています。
辛かった事
幸せだった事
人並みにはありました。
問題があれば、答えを見つけて
"私"を造ってきました。

だけどいつか死ぬんでしょ?
宝物は少ない方が
未練なく最期を迎えられると思いません?


でもなのに
なぜ
人は
幸せになりたがるんだろう。


大事なものが増える度に、
今は死ねないって思うんです。
今私が死んでしまったら
幼稚園のバスのお迎えは誰が行くの?
娘の恋愛相談は誰が聞いてあげるの?
息子の、ゲームのレベルが上がった話し
誰が聞いてくれるの?
主人が毎日晩酌しながら
今日の出来事を話してくれるんだけど
その話を聞くのが、私以外じゃ嫌なのよ。
誰にもそのポジションを渡したくないの。
だからまだ死ねないのよ。
私は、誰かの私だから。

じゃぁ、
今なら後悔せずに死んでもいいって瞬間ってくるのかな?
その時が、私の人生の"その時"なんだと、受け入れられるんだろうか?
できれば
脳を使い切って
たくさんのことを忘れ始めるくらい
長生きして
主人の顔見て、
どちら様ですか?なんて言ってしまうほどに
物忘れをするくらい
おばあちゃんになるまで生きていたいな。
そうすれば悲しくない

子供達も
忘れちゃったんだねって分かってくれると思うし
その頃には子供達も
大切な場所を見つけて
私がいなくても幸せを探せる人になっているはず。

その頃にはようやく私は、私の私でいられるでしょう。


神様は見ているんだろうか?
この試練は
私にとっては必要なものなのかもしれないけど
傷つくのは息子じゃなくて私がよかった。
生きていく上で
困難や試練は必要なのかもしれないけど、
我が子には傷一つ作ってほしくないと
思ってしまうのが親心な訳で

今回のことで学べた事は多くあるけど
息子が、世の中の仕組みに呆れてしまわなければいいな。
あなたの味方はちゃんといるよ、
あなたは何も悪くないんだよと
繰り返し伝えているけど

まだ、この世の中
捨てたもんじゃないなって思ってもらえるくらい
たくさんの良いことが待っていて
素敵な道がこの先続いていますように。

私は残りの人生まだ折り返し地点にも
行ってないかもしれないから
健康第一、
いつまでも主人と、子供達の隣に居られるように
頑張ります。


生きた先に待つ死が、
悲しいだけではないように
今を生きる
それが人間にとっての
生まれた意味生きる理由なのかもしれないです。
(私的に)

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