自分を間違えない
いつも本当のわたしでありたいと思う。
自分のことは自分でわかっているつもりでも、本当の自分のまま生きれている人はどのくらいいるのだろうか。
私は自分のこと、わかってるのに、なぜか人のイメージで生きてたところがあったなと気づく。
あと、親や妹たちからのイメージや期待を生きてた。
親や妹たちからは私は強いと思われている。
私は全然強くない。
けど、弱いところを見せられないから頑張って強い長女を演じてきたのだった。
あと、人からこう見られたい。みたいなものに沿った自分になっていたかも。
本当の私を認めたくなくて、「私はこんなんじゃない!」と思って、人から〝こう見られたい〟を頑張って生きてた。
本当の私じゃないからどこかで違和感を感じながら。
私は子供の頃から、結構しっかりした人のように見られる。
それは見た目だけで判断されたものらしいが。
しかし本当の私はとんでもなくいい加減だ。
私のことをよく知るようになるとそれが見えてくると思うが、とにかく、しっかりした人ではないのだ。
というか、そもそも「しっかりした人」とは??
ネットで調べてみると、こう書いてあった。
まったくもって当てはまらない。
私は大体のことにおいて適当だ。
計画性もない。
「うっかり者」!
そちらの方が当てはまることが多いかも。
確かに、中途半端なことも多い。
何年か前、韓国語が話せるようになりたい、読めるようになりたい!と思って韓国人の先生が教えてくれる韓国語教室に通ったことがある。
読み書きと話すことすべてをマスターできるような内容だった。
基礎から始まり、読んだり書いたりできるようになってきて、少し簡単な会話もできるようになった。これからもっと会話を覚えていくという時になり、辞めてしまった。
後になり、もったいない。と自分でも思う。
中途半端に辞めてしまったことは他にもある。
ネイルが好きで、30代のころにネイリストになるための通信講座を受けようと高いお金を払って教材を買った。
松下美智子さんの通信講座だった。
それも途中で辞めてしまった。
あとは、アクセサリーを作ってみたいと思って貴和製作所であれこれ買って作ろうとしたこともあった。
それも途中であきらめてやめてしまった。
これは私には向いてないなと思ったのだ。
細々とした作業や繊細な作業は私には向かないらしい。
こうやって、中途半端だがあれこれやってみた経験から得たものもある。
それは、今の仕事で活かされている。
お客様に、これに使う道具はありますか?と聞かれた時、分かるということ。
それをやったことがあるから分かるのだ。
そう考えたら、中途半端も良かったのかな。
やりたいと思ったことはやってみる。
それは私のいいところかもしれない。
中途半端に終わるけど笑
あとは、私は強がりがクセになってるなと思う。
小心者のくせに、それを見破られたくなくて平静を装おうのが上手い。
内心めちゃくちゃ緊張していたり、ドキドキしてるのに、それを悟られたくなくて平静を装おうので、人からは、緊張せず冷静にいれていいねと言われるのだ。
全然。
めちゃくちゃドキドキしてるわ!
なんで隠そうとするのかわからない。
人に、ドキドキしてること知られたら負けた気がするからか?
ホントの私は怖がりの小心者なのにね。
おしゃべりもあまり好きじゃない。
黙って静かにいるのがすき。
時々、話したいことを話せればいい。
娘と2人、車に乗っていても、話すことが特にないときは黙って乗っている。
「こういう時、おしゃべり好きな家族はわいわい話しながら運転するんやろね」
と話したことがある。
だけど私たちはいつもこんなふう。
それが私は心地いい。
基本的に1人が好きなのかもしれないな。
図書館で静かに本を読む私。
部屋で静かに本を読んだりノートを書く私。
赤毛のアンの世界が好きな私。
お菓子作りが好きな私。
時々、推しのコンサートで弾ける私。
怖がりの小心者。
それが本当の私。
自分を間違わず生きていこう。