ネスト
この作品はだいぶ前に作った小さいネストから成長して巨大に化けた物。
私はテキスタイルを美大で専攻していた。本当はファッションが大好きでファッション科に行っても良かったけど、自分が作った洋服しか着られなくなるのかと思うと何となく寂しくて、テキスタイルだったら布や繊維一般を味わえると思ってテキスタイルを選んだ。
そこから縫ったり織ったり、染めたり、色んなテクニックを学んだ。今も美しいタペストリーや洋服や、布など見るとワクワクする。
例えば、パリにあるアレクサンダーマクィーンのお店のカーテンとか最近とても感動した。置いてある南米からの大理石の家具も素敵だし、ああいう本物があるところはやはりシンプルに良いと思う。ディオールでもカルティエでも偽物っぽい照明や家具をみると、折角置いてある素晴らしい物も際立たなくなるのが気の毒に思える。お互いがあっての事だから、人でも物でも、お互いに良いリフレクションになるのが好ましい。
そんな文句は簡単に言えるよね、やってみたら色んな決まりとか設定があって、特にパブリックでは規定が多いから、作る方も中々理想的に完成させるのが難しいんだよね。
私がこの巨大なネストを作ったのは2022年の春、丁度コロナが落ち着いてきて、パリにいつ移ろうかと悩んでいた時だった。こんなに大きいのを作るのは初めてで簡単に、作る!と言い張ったものの、頭の中でどう仕上げるのか、完成図が出てこないので結構焦った。
私の場合、頭の中で構造やら何やら出来上がったところで、スケッチにおこす。その頭の中で考える時間は一瞬だったり、永遠にかかることもある。それに加えて私の場合はクライエントがいて、そこに合う物を作り始めるので、そのクライエントと波長が合っていればすんなり進むし、全く合っていなかったりすると、ズルズルと色んな問題が出てきて余計な時間がかかる。
私が美しいと思っても、一般的には美しくないかもしれないし、誰のテーストやスタイルがマストに一番だと誰も宣言出来ない。だから結局はクライエントに少し合わせたりする。それでも素晴らしい物になるようにして、結果はいつも良いから、この仕事がやめられない。
ただ、このネストを制作している最中に面白いことがあった。それは、私の未来を作るステージに立ったのを直感で感じた事だった。
作っている最中は、体はヘトヘトでタクシーにも乗り込めないくらい足が棒のようになった。だから歩いて帰った。細く切った籐を巻いていくせいで手が何箇所も切れた。十数時間もそこで一人で制作できる超幸せな感覚と痛みとが重なって、どうしていいか分からなくなる。でもやっぱりそこにも終わりがあって、その瞬間がくるのも愛おしい。だって本当にお終いだから。
こんな風にして自分を出し切ってできる作品は私を強くする。今までただ単に作ってきたけど、最近になってやっと何故こんなことをしているのかが分かってきた。いつもある葛藤。この葛藤の中でじっと考える。そんな時に出来る作品は、決まって強いものになる。母の応援と父の応援、それから家族全員の、私を強くしてくれるみんなからの応援の声が聞こえてくる。そして意味のある物に変わっていく。
Mahler Symphony No.4 を聴きながら。