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とりとめのない日記(運動について/求職活動の終わり/むかし影響をうけた漫画のこと)

もう10月も中旬? 今年も終盤戦だというのに、まだ暑い日があるとは……?

昨日はひさしぶりにジョギングをしました。よく晴れた日の朝、好きなルートをジョギングするという行為はとんでもなく開放感があってよいなと思いました。

夏のあいだ全く外を走ることをしなかったので、そういうことをまたやりたいなと自然に思える気候であることがうれしい。しかしひさしぶりにやったので、脚が筋肉痛です。早く治りたい。

わたしが、運動のことを全然わかっていないからだと思うけど、運動に関しては「何かしらをやってるだけで充分」と思っているところがあったりする。成果とか健康への効果は二の次で「やってるか、やってないのか、やろうとする気があるか」という、ただそこだけにしか着目していない。基準が、甘めである。

よく、スポーツ選手が、試合で敗退したりして、あと一歩のところで勝利をおさめられなくて、とかで泣きながらインタビューに応じているのをみたりすると、そうなの? え、いや、すごいよ、充分だよ、って自動思考として思っちゃうところがある。誰がどういう成績をおさめたからすごいとか、わかっていないんですね。その、規模感が。自分がやってきてないからだな。

「必死で目指してきたものが達成できないのはくやしい」ということは、わかるので、スポーツ以外のことに置き換えるとわかる。抽象化が大事ですね。

パートの仕事が決まったので、もう少ししたら働くことを再開します(なんかAIみたいな文章だ)がんばります。まだ働いてみていないからなんとも言えない部分はあるものの、ちゃんと、自分の納得感を大事にできたな! という実感があるのがとてもうれしい。

このまえの投稿で「ご縁があったらいいな」と思っている、と書いた企業さんとは、残念ながらご縁がなかったのですが、いま思えば、うん、やっぱりご縁なかっただけのことがあったわね、と思うし、いろんな会社の事業を垣間見ることができたことが、よかったな。

大体の企業では、パート採用といえど書類選考や面接のみならず適性検査やテストのようなものがあり、その対策をすることで自分のやりたいことや得意不得意を見直すことも改めてできて、人生の棚卸しという意味でもよい契機になった。

あと面接が、採用されてもされなくても、よい経験になった。人事の方や現場のリーダーの方や代表の方が面接を担当してくださる場合がほとんどだったけれど、話の進め方や引き出し方などが勉強になったのもあるし、こういう理念でこの事業をやっていて、こういう人を求めています、という話を聞くのはとても勉強になる。ウェブサイトや求人広告にでている「企業理念」「事業内容」でわかった気になっていても、お話をさせていただくと見えてくるものが変わってきたりもして。趣の深い期間だったなと思う。

ひさしぶりに昔の少女漫画がよみたいな、と思って、吉住渉先生の「ハンサムな彼女」という作品を読み返した。

吉住渉先生といえばおそらく「ママレード・ボーイ」が一番有名なのだと思うが、子ども時代のわたしは「ハンサムな彼女」の方がどちらかというと夢中で読んでいた記憶がある。

全9巻で、主人公で女優の未央と、映画監督の一哉の恋愛の話を主軸にしつつ、仕事まんがでもあり学園まんがでもあるという濃厚特盛感が、最高に大人の世界って感じで、小学生には魅力的だったんですね……。今読み返してもいろんな発見があっておもしろかった。なんかこう、昭和~平成の漫画は、人と人との距離感がやたら近いな、と思った。

「主人公の未央が、流されやすくて最初は仕事も軽いノリでやってるんだけど、一哉に出会ってだんだん女優として成長していく」 「一哉は映画制作のことしか考えてないんだけれど、未央と出会うことでだんだん人間味がでてくる」みたいな推移があるのもよかったな。

少女漫画なので、恋愛のはなしがメインとして進んでいくのだけれど、大人になってから読むと仕事の側面に目がいく。 チームでの映画制作の高揚感も丁寧にえがかれている。むしろ恋愛がいらないのでは……?(そんなことは絶対ないんだけど) 一哉(高校生だけど映画監督)かわいそう、と思う場面がすごく多かった(映画作りに集中したいのに、恋愛にも向き合えってみんなに言われたりプロモーションのために本位じゃない仕事させられたり……)

とはいえ、主人公の未央が、一哉をどんどん好きになっていく気持ちはいまもよくわかるなと思った。なにか「これ!」という一つのものに打ち込んで夢中になっている人はかっこいいな。

恋愛のはなしは「好きなひとに振り向いてもらえなくてつらくて他の人と付き合ったりもするんだけど忘れられなくて……」みたいな展開はもう王道の少女漫画なわけだけれど、、「あ、わたしの若かりし日の対人コミュニケーションがあんまり素直でなく捻じれていた(と思う。たぶん)のは、小学生のとき、こういう少女漫画特有のコミュニケーションの仕方に影響を受けてしまったせいもあるんじゃないか……?(遠い目)」と思ったりもした。

モノローグが多くて意思表示がはっきりしなくて「あの人はきっとこう思ってるに違いない……」みたいな、推測ベースのコミュニケーションが多い。 そうしないと話が盛り上がらないからそういう構成になってるんだろうけれど。みんな、もっと、明確なコミュニケーションを取ろうぜ!?? と言いたくなる。

こんまりさんが提唱していた「ときめくか、ときめかないか」で物事を決める方式だと、わたしにとっての「ときめくもの」は移り変わるので、その瞬間瞬間のときめきなんて全然あてにならんのではないか? ときめきを軸にしては危険なのでは……? と思いつつ、ときめき(というか高揚感?)はスパイスなので大事にしつつ、取捨選択して進んでいきたいものです。なにごともバランスであるね。


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