2歳の記憶があるなんてすごいね(生い立ち編1)
私の人生で1番古い記憶は、
・ぐったりした私をお姫様抱っこする祖父
・昔のドラマや映画で見るようなフォルムの白いセダン
・向かって左側には母
・白い建物の裏口のような場所で、大きな建物と不釣り合いに小さなドアが1つだけある
・天気は晴れ
そしてもう1つ
・車の中で横になって窓の外に見える青空
この2つは
いつの間にかあった記憶で
大人になっても鮮明に覚えていて
ある時、母に話してみた。
すると母は
「それ、あんたが2歳の時に階段から落ちてゲーゲー吐いた時だね、病院に行く時だよ」
母は私のことを名前で呼ぶ以外の時は『あんた』と言う。
ちなみに父や兄は私の事を名前以外で呼ぶ時は『お前』という。
これ、
やめるべき古い風習のうちの1つだと思う。
子や妹弟など『自分よりも格下』と思っている人物に対しての二人称に
『あんた』『お前』
などという蔑んだ呼び方をしている人は今すぐにやめた方が懸命と私は思っている。
なぜかと言うと
人はいつも呼び続けられる呼び名というものは
ものすごくその人間の言動や人生そのものに影響を及ぼすからである。
自己肯定感や意識、普段の考え方に多大な影響がある。
『あんた』『お前』
と発する側よりも明らかに格下であるという意識が固定され、
『人には一人一人尊厳があり、皆対等である』ということと反対に
自分はこの人と対等では無いという上下関係がしっかりと染み付いていくからである。
また、
親や兄弟など『あんた』『お前』を発する側に何か不快感を感じたり、矛盾や至らない所を見つけた時に
「自分はこんな至らない人よりも格下なんだ」という意識が生まれ、固定されていく。
これはとても苦しいことである。
厄介なのはそれが毎回言語化されなくても、
勝手に感じて勝手に固定されることである。
毎日毎日の習慣の蓄積をナメてはいけない。
ものすごい効力を発揮するのである。
そして本人が『これが自分なんだ』という自己認識の土台の構築に一役も二役もかってくれるのである。
『貴様』『てめえ』なども
元々は敬意を表す言葉や手前という自分側を表す言葉であったが
今の口語ではどちらも相手を蔑む呼び名なので同じように
負の効力を発揮する。
また、
普段から『あんた』『お前』などという呼び名で呼ばれていると
いざと言う時、人に言うものである。
感情的になった時である。
いざと言う時の『いざ』は『いざ鎌倉』という言葉でも使われているが
頭領である将軍がが困っている時にすぐに幕府のある鎌倉へ駆けつけるという、『御恩と奉公』の奉公の方である。
この時代に駆けつけて来て欲しいほど困ることの解消法は戦である。
駆けつけた後は戦うことがほぼ前提なのである。
これから戦いに行く準備。戦うモード。
つまり
『狩りモード』。
戦うモード/狩りモードの時は
勝ちたいので相手を弱くしたい。
つまり自分よりも格下にしたい。
つまり相手のことを蔑む呼び方をすれば相手が自分よりも格下になるのである。
怒りなどで相手に攻撃(口撃)したい時
普段は名前で呼んでいるのに、その時だけ『あんた』『お前』が出てしまった経験は
誰しもあるのではないか。
これは「普段名前で呼び合い対等な関係性を築いているけれど、今は相手を攻撃したいので狩りモードの相手格下げ中ですので!!」
という状態なのである。
カッとなっている時などに
相手に『あんた』『お前』などという呼び方が
ポロッと出てしまうのである。
『あんた』『お前』と呼ばれて育つといざと言う時人に『あんた』『お前』と言ってしまうのである。
ちなみに私は
母に反論したい時「あんたが悪いんでしょ」と
いつも母に言われる言い方をして
「親に向かってなんて口聞くの!!」と思い切りビンタをされることがしょっちゅうで
母にも父にも同じようなことをして殴られたことは数え切れない。
その度に「親に向かってなんて口聞くのか」と責められるが
元々は親の口癖を無意識に子どもは真似をするというシステムが自然に発動しているだけなのである。
児童館や子どもの集まりで、感情的になっている子どもを見ると
その子の母親が普段どのようにその子を叱っているか、すぐに分かる。
こういう無意識の行動はウソをつけないので
母親に聞くよりも子の口癖を聞く方が早い。
言い方を変えると
親が自分の感情コントロールができないのに子には感情コントロールしろと求めているということになる。
自分の子、生徒、部下などに
『あんた』『お前』という言葉を使われたくないならば
まずは自分が即刻やめるのが1番の近道である。
また狩りモードであるあんた、お前を言われた瞬間、
言われた側は「狩られてなるものか」と臨戦態勢に自動発動で入る。
臨戦態勢には以下の2つがある。
・応戦モードつまり戦うモード
・回避モードつまり避けるモード
回避モードには更に2つあり、
・逃げるモード
・頭真っ白モード
がある。
さて、
話を戻そう。
母は
「ものすごい体験すると、2歳でもそんなにハッキリ覚えてるんだねぇ。2歳の頃の記憶があるなんてすごいね。」
とその時していたアイロンがけの手を止めることなく平然ととしていた。
私もそのあたりにはその時は何も疑問に思わなかった。
それよりも
いつもふと思い出すのは
本当にそう言う事実があったからなのかということに気が向いていた。
私が2歳の頃、
家事をしている母の後をついてまわっていて
母には何度も「すぐ来るから待ってなさい」と促されたそうだが
『後追い』の時期(子が母親の後をくっついて回る時期がある)なので
口で「そこで待ってなさい」と言うくらいでは
「はい待ってます」なんて2歳児は聞くわけが無い。
しかもイヤイヤ期の可能性も高い年頃だし、
待ってなさいという躾の言い方なので
トリプルで待っているわけが無いのである。
そしてとうとう
私は階段から落ちてしまう。
まだまだ頭が大きくて重い年頃。
頭から真っ逆さまで落ち、頭を強打してしまったようだ。
そのうちゲーゲー嘔吐が止まらなくなって
救急病院に連れて行った、
その病院の救急患者入口が
大きな建物の割に小さなドア1つ、の記憶のドアなのである。
母は軽く話しているので私もさほどこの時は気にも止めなかったが
後にこのことが私にとって大きなものとなる。
それについては別の章で話すのでお楽しみに。
さて話はこのまま私の生い立ちについて続いていくわけであるが、
長くなったので今日はこの辺で。