培養肉に興味を持ったら|業界参入・産業振興で考慮すべき3つのポイント
培養肉業界を分析する上で考慮すべきポイント
「培養肉」(「クリーンミート」、「人工肉」などとも呼ばれる)について、ニュースやアナリストレポートなどで最近取り上げられることが多くなった。代替肉業界を牽引する世界的NPOのThe Good Food Instituteのレポートによると、培養肉企業への2019年の投資額はグローバルで$77mであるのに対し、2020年1Qでは$189mに急増した。また、三菱商事や三井物産などの商社や大手(食肉加工)食品会社の培養肉業界への投資、シンガポールでの世界初の培養チキンの販売承認を受けて業界はかつて無い盛り上がりを見せている。
筆者は、培養肉に関して日本でルール形成を行う細胞農業研究会の事務局広報委員長として、培養肉のルール形成やその業界振興に携わっている。具体的には、日本国内で販売承認を獲得するための業界ガイドライン作成や政策提言の作成に携わり、またニュースレター発行を主導している。
日本が自主的に培養肉についてルール形成を行い、培養肉業界を積極的に振興する意義について考えてきた中で、個人的に重要であると考えた論点をここに共有したいと思う。政策関係者が培養肉産業を支援するべきか考える際の論点整理、企業が培養肉産業への参入を考える上での将来性の分析材料として使っていただけると嬉しい。重要と考える論点は次の3点である。
①培養肉産業の国際的な台頭で日本の産業が抱えるリスク
②国際的もしくは日本の社会課題を解決する可能性
③国際的な培養肉業界において主導的立場を取ることのできる可能性
リスクが高いと判断できれば、注視する・対策を考える必要があり、細胞農業研究会などの業界団体への参加などの検討が必要となるだろう。ノーリスクであっても昨今注目されている社会課題解決型ビジネスとして成り立つポテンシャルがあれば、ビジネス機会がないか分析してもよいだろう。さらに、培養肉事業にビジネスとして成長する可能性があるばかりか、日本の文化的特性や企業コミュニティの力を活かし、国際的なデファクトスタンダードを形成するポジションに自社を置くことができるのであれば、なお参入の検討余地があるかもしれない。各論点について議論をするためには、あらゆるリスクや可能性についてその実現可能性を分析する必要があるだろう。
筆者がこれら3つの論点について、リスクや可能性の有無を考えた結果を下記に紹介する。
①培養肉産業の国際的な台頭で日本の産業が抱えるリスク
現時点で筆者は下記の3つを想定する。本セクションは過去記事「培養肉業界で日本が発揮できる6つの強み|シンガポールに続こう」に加筆したものである。
1 -ブランド和牛等動物由来の高品質資源の知財を侵害されるリスク
培養した細胞が培養元細胞の肉の味を継承する場合、例えば和牛の細胞を培養して大量に「和牛」味の安価な肉を生産することが可能とも考えられる。万が一これを良しとするルールが国際的に形成されてしまった場合、和牛産業へのブランド毀損が生じる可能性がある※1※2。
2 - 「高付加価値のお肉(ないしタンパク質源)」について再定義をされてしまうリスク
食肉のサステナビリティを問題視する世界的な動きが形成する評価軸を想定。例えば、Oatlyのように、カーボンフットプリントや生産に際して消費される水の量を商品ラベル上で表示する考え方※3が普及し、それが消費者に求められるようになることで、「霜降りがある」だけでなく、環境によいお肉こそ価値の高いお肉であるという尺度が国内外で広まってしまう可能性はあるかもしれない。
3 - 各国が培養肉に関するルール形成を行うなか、日本が自主的にルールを形成・発信しないことにより、日本の企業にとって不利な市場が形成されてしまうリスク
上記1 に想定した例以外にも、我々が自主的なルール形成・発信を行わないことにより、特定の国や産業にとって優位なルール形成がなされてしまうばかりか、世界の培養肉ルール形成を行うキーコミュニティへの参画ができないことで業界の鍵となる人物などの把握ができず、あとからルールの変更を希望する際に圧倒的に不利となる可能性がある。
②国際的もしくは日本の社会課題を解決する可能性
日本社会が培養肉産業を振興する際に享受できる可能性がある5つの恩恵の例を次に挙げる。ただし、日本においてその恩恵の有無を積極的に検証する必要がある。
1 - 食糧自給率・飼料自給率の向上
日本は食料自給率が低いことに加えて、飼料自給率が10%程度と大変低いため、飼料を必要としない肉の生産手段は希望と考えることができる。ただし培養肉の生産には大量のアミノ酸が必要であり、それを輸入に頼る場合は、自給率向上に寄与すると言いにくい点が課題。
2 - 畜産業界の後継者不足の解消
頭数を育てなくて良いため、人手不足が軽減される可能性がある。しかし、細胞の知財などの新しい概念・ビジネスの誕生や、商品の高単価化を目指すことにより新たな人材の確保が必要となる場合がある。
3 - 食肉サプライチェーン上の環境負荷の低減
既存の畜産業界で生産される食肉と比べ、水や土地の使用量を8~9割削減できることが培養肉の訴求ポイントだが、上で述べたアミノ酸など、培養肉の原材料や培養液の生産、細胞培養に必要な電力の環境コストを検証する必要がある(例)。
4 - 屠殺・食肉加工処理場の衛生基準の向上と肉の安定的な供給
培養肉の生産工程は、家畜の解体作業(手作業を含む)を含まないため自動化しやすく、一般的な食肉生産において問題となる動物の解体時に発生する糞尿などによる汚染がなく、集約的な畜産を必要としない。これらは、細胞培養技術による食肉生産のメリットである※4。
日本の食肉業界において本項目がどれほど重要なものであるかは検証が必要であるが、少なくとも、新型コロナ・パンデミック等の影響により食肉加工工場の作業員の密を避けた結果、生産効率を保つことができず、肉の供給が不足し肉の値段が高騰した国や、動物間の伝染病などで大量の殺処分に苦しんだ事業者に対して、本項目のメリットは重要な点であると考える(例:米国での新型コロナ禍にて相次いだ食肉加工工場の閉鎖(食肉処理施設の操業継続に関する大統領令発令にまで発展)や、中国におけるアフリカ豚コレラの問題など)。
5 - 日本の食産業に「多様性への寛容さ」や「持続可能性」などのイメージを追加する効果
培養肉を積極的に取り入れた料理の開発を日本の食産業が積極的に行うことにより、日本の食領域における発信力をテコに、「日本の食」に「多様性への寛容さ」や「持続可能性」などの新しいイメージを付け加えることができるのではないか。現時点で「日本の食」はヴィーガンなど多様な食文化を持った人々に必ずしも寛容ではないイメージがあり、その払拭を狙いたい。
イメージ付加の実現のためには、細胞農業研究会のような培養肉の業界団体や事業者が、日本における食をサステナブルなものにするという大枠ストーリーの下、高級レストランへ培養肉に関する教育を行う必要がある。例えば、その活動によりミシュラン獲得店への培養肉採用率が向上すれば、海外のミシュラン獲得店への訴求も可能である(日本は世界で最もミシュラン星獲得したレストランの数が多いため)。ミシュランはサステナビリティ指標をレストランの評価軸に取り入れたとされているため、培養肉の導入はレストランにとってインセンティブになるかもしれない。現時点で従来の肉と比べ単価の高い培養肉商品は、高級レストランを入り口とした上市が現実的であるという意味でも、同者を巻き込んだ消費者への発信はなにかしら必要であると考える※5。
③国際的な培養肉業界において主導的立場を取ることのできる可能性
日本が有する培養肉業界における次の6つの強みは、同業界でのルール形成に積極的な米国やシンガポールに全く劣らないものであると個人的には考える。
1 - 「和食」や美食の国という世界的ブランド・発信力を保有
日本は「和食」という世界に通用するソフトパワーを有す。また日本は、世界一ミシュランの星を獲得したレストランの多い国として有名であり、世界の食の産業において確固たる発信力があるといえる。
2 - 世界基準で高品質な肉細胞を作り出す畜産技術を保有
シンガポールやイスラエルなど、食糧安全保障の観点から培養肉業界の振興に積極的な国々に比べて日本が現時点で優位に立つことができるポイントは、国内に多くの畜産業者を有し、質の高い肉(細胞の塊)の生産ノウハウがあることと、和牛など世界的にも有名かつハイエンドな肉のブランドを有していることであると考える。後者については、培養肉について積極的にルール整備を行う米国や、国家戦略として培養肉を検討する意見が挙がる中国に対しても優位に立つことが可能ではないかと考える。
3 - 既存の食肉業界における有力プレイヤーの存在
上記の2 に加え、日本ハムや大手商社など、畜産業界において事業経験のある大企業を国内に多く有する点も、他国と比べて優位性となるのではないか。
4 - 培養技術力を有する有力プレイヤーの存在
日本ではIntegriCulture社や日清食品ホールディングスなどが培養肉の研究・開発を進める。また、食肉加工食品大手の日本ハムはIntegriCulture社に、三菱商事は培養肉スタートアップのMosa Meat社に、住友商事は培養魚スタートアップのBlue Nalu社に、東洋製罐グループホールディングスは培養エビスタートアップのShiok Meats社に出資するなど、様々な日本企業の関心度合いが伺える(投資額は数千万円〜十数億円規模であると推察)。
5 - 培養肉関連のルール整備上有利な、国内法規制環境
日本は米国等と異なり、培養肉の生産・販売等の取り扱いについては、既存法にて基本的には対応可能であると言われている。
6 - 民間企業、非営利組織、アカデミアが官民協議に多数参画
培養肉のルール形成を主眼として設立されたCRS細胞農業研究会や農林水産省の主催するフードテック研究会・官民協議会などがある。
本セクションは過去記事「培養肉業界で日本が発揮できる6つの強み|シンガポールに続こう」の再掲。
最後に
以上をお読みになって、培養肉業界・細胞農業研究会への参加にご興味を持たれましたら、ぜひ筆者にSNS等を通じてお声掛けいただければと思います。また、他の視点もある、上の意見がずれているとお考えの読者様も、ぜひコメント・ご教示いただけますと幸甚です。
今後とも引き続きよろしくお願い申し上げます。
注記
※1「本物」というブランド価値が高められる可能性もあるため、本当は、本例に関しては一概にリスク言うことは難しいと考えている。世界中の「”なんちゃって”日本食料理」が「本物」の日本食の認知度・付加価値向上に貢献していると考えることができるのと同じ発想である。ただ、和牛の例の場合、「〇〇牛」と明確なブランド名があり、その細胞の第三者による再生産については何かしらの制限を設ける必要があるのではないか。
※2 培養した細胞が培養元細胞の肉の味を継承するかどうかは、日本のようなブランド肉を保有する国が率先して研究・可能性を見極める必要があると考える。培養肉の開発を行う専門家複数人に非公式にヒアリングを行ったところ、肉の味を継承するという意見の方とそうでない方がいた。
※3 既存の「美味しい」お肉の判断基準(和牛の等級など)をアップデートするべきと考えるステークホールダーにとっては、新たな「美味しい」肉の基準を提唱できるチャンスかもしれない。
※4 本項目に加えて、一般的な畜産で家畜に投与される抗生物質やホルモン剤等の薬剤の使用を、培養肉の生産では抑制することが可能という論点がある。しかし、培養肉の事業者によっては、培養液に抗生物質やホルモン剤等を使用する場合があるため、本記事においてはこの観点には触れない。
※5 残念ながら筆者はレストラン業界に関しては素人であるため、上のアイデアは全く的外れである可能性はある。ぜひ業界のパイオニアにご意見を伺いたい。
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