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「浜昼顔」という商品

1月にあと消し前提で書いたテキストと一部被るのだが、また少し書きたくなり、これについて考えるところもあって、今一度書いてみたいと思う。

同一のタイトルでテキストを書いた年末年始、販路として選んだネットショップAmazonへの出品代行業者さんと、トラブルがあった。
結局のところそれがもとで契約を解消したのだが、簡単に言うと、
Amazon出品代行ということで手数料契約料を払って委託した私の金魚絵

を、Amazonへの出品手続き前に他のところで裏契約を成立されてしまい、正規の販路での売買がされずに販売されてしまったというもの。

当初代行さんには成立価格の○○割を手数料として支払う契約だったため、希望価格に○○割を上乗せした価格を売価として提示したのだが、希望価格で正規出品がされないまま裏で取引されてしまったため、
本当のところ先方に幾らで売れたのかは謎。
全て知っているのは代行さんだけで、
恐らく私が提示した価格よりも高く販売し、利幅を得ていたものと思われる。
おまけに契約者によってマージンの割合を変えていたのを管理しきれていなかったらしく、言うことが二転三転するいい加減ぶり。
契約破棄書類はとっちでもいいとか、Amazonには業者発送と明記してあるのに送料はそっち持ちだとか、業者としてどうなの?という対応、本人に悪徳業者の自覚がなくてもそう言われて仕方ないだろうという対応に、もう利益どうでもいいから早く契約を切りたいとまで思った苦い思いでになってしまった。

某夫妻の全面的な協力アシストのお陰で事なきを得たのだが、(本当に感謝)当の金魚を購入してくださった方は本当に私の金魚を大切に飾ってくださっているFacebook上のお友だちとしてファンにもついてくれた方でもあるため、この件をそれ以上蒸し返すことはせずにいい勉強になったと思うことにした。

後々になって考えると、
この業者さんは、恐らくさほどの悪気はないけれど、「作家もの」というものの価値を、理解していなかったのだろうと思う。
工場で大量生産されるモノと、作家の一点ものというのは、基本的に扱う感覚が違う(筈である)。
作家自身が割りきって「お金を稼ぐために、売れればいい」と思っているのであれば、この一件でもなんの疑問も感じずに契約を続けていただろう。
即売れだったので、マーケティング力だけで言えば抜群だったのだろうから。

ただ、言い知れない、ものすごい違和感と嫌悪感だったのだ。
「浜昼顔という“商品”は、転がされて利用されるだけのものでいいのか」。
Amazonを選んだのは、海外で作品を希望してくださっているお客様にもスムーズに取引していただけるようにとの願いがあったのだが、フェアではない取引をされてしまっては、それも叶わない。
私の気持ちに反して転がされるだけの「モノ」扱いが、わりきれなかったのである。

私が一番最初に「オーダー」としてお金をいただいて私の技術をお渡ししたのは、やはりnoterさん。
今も応援して色々な情報をくださる。
高校生の頃も、2、3依頼絵でおこづかい程度を戴いたことはあったから本当に初めてではないにしても、「知り合い」のようなコネクションなしでお仕事を戴いたのは初めてだったから、緊張しつつも精一杯作らせていただき、そしてその、私の仕事に対する対価もくださった。
そこには確かに、モノ自体だけの商品価値ではなく、「私”浜昼顔“という価値」を含めてご購入くださったというのが伝わってきた。

そしてその積み重ねをするようになってから、
「美容師も身内からだって技術料を貰う」ことの意味が分かってきたのだ。美容師がカットする技術にお金を払うということは、その人が身に付けてきた努力という技術に対する対価である。
「身内だからいいじゃない」「知りあいだから何とかしてよ」というのを、特に田舎ではよく聞くのだが、身内や友達という甘えから来る惰性は、通常のお客様からはきちんと対価をいただいているのに、その通常のお客様に対する失礼になり、蔑ろにしていることになる。

絵に限らず、音楽も、文章も、それ以外のその人の持ちうる才能から産み出されたもののひとつひとつは、その人自身を切り売りしているものである。
身内や知り合いだからこそ、その人の技術には、敬意を払う扱いをすることが、礼儀なのではないだろうか。

目下、販路はまだ未定。
オーダーも少々頂いているので、オーダーをきっちりとこなしつつ。

先ずは堂々と上記を主張できる略歴づくりのために、日々精進したいと思う。

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