腑に落ちない、母の言い分
このところ、私自身が心の棚卸しをしている様な感覚になっている。
結局、自分はどうしたいんだろう?
と、振り返ると
どうも支配的な母親というのがネックになる。
母親は、これまた支配的な父親(母方の祖父)に育てられた影響で、支配的に育てなければいけない無意識の意識が有った様に今思えば考えられる。
それがうまくいかなくて、ただ自分の感情を当たり散らしたり、不機嫌で居たり、常に自分は正しいというスタンス、絶対に自分が悪くても謝らない、などの特徴がある。(今でもそうです)
10年前、私は結婚するという形で母親からの脱出が出来たかのように思えたけれど、
まだ実家との付き合いというしがらみで、まだ生きている母親との距離の置き方に苦慮している。
相手を変えることは不可能だ。
一番私が嫌なのは、私自身が窮地に陥った場合、苦しい状態の時に限って母親は追い討ちをかける癖があるということ。
万事順調な時ならば、ちょっと厄介なお母さんだね、で済むのだが。
そして私には負い目がある。
服薬していないと、再発するメンタルの病気を持っていて、その病気がひどかった時に(実際はそれほど苦労していなかったはずなのに)あなたには迷惑をかけられた、という風に被害者意識でいるからだ。
病気は果たして私の全て自己責任なのだろうか?
というそもそもの問いもあるし、
そうなってしまった原因(常にストレスフルだった環境)を作り出したのは父親ではなく、いつも暴言や心理的に責めていた母親だったからだ。
こういった他罰的、自己中心な親に育てられて、
無傷でいられるわけがない。
偶々、そういった病気になった、という風に母親は今はしれっとしているが、私は当時の記憶を辿る度に、理不尽の一言では片付けられない感情になる。
母親も70代後半になり、高齢者の範疇に入ってはいるけれど、私がこれから先の人生を健全に、自分の心を守るために、そういう母親だということは事実として認め、それに振り回されることなく、自在に生きていくためにはどうしたらいいか?
それをもっと考えたいと思った。
母親は言うだろう。そんな事言ったって、アンタは好きに生きてきたじゃないの、と。
心理的に決別したい。
親からの理不尽も、跳ね除けて、思い出して傷つく事なくいたい。
それには、ただ病気にならないことだけではなく、傷を自ら修復していく作業が必要だ。
この10年間は、とても幸せだったけれど、これから先、親の面倒を見なくてはならない問題も浮上してくる。
そんなこれからを、自分を殺す事無く生きていくために、私は自分のしたい事をして、自分主体で生きて、伴侶と共に、親の影響などに左右されない人生を力強く踏みしめたい。
そんな気持ちでいます。