定食屋の味

親から「おふくろの味」を受け継ぐことはなかったけれど、疲れた時でも作れるご飯のメニューは決まって「定食屋のガッツリ飯」な事が多い。

なぜだろう?と考えてみたら、
私が独身時代に、美味しかったと覚えている味がいわゆる「食堂の味」みたいなものだったので、自然とそんなご飯を作りたい衝動に駆られるのだと結論した。

林芙美子の「放浪記」に、今でも覚えているシーンがある。
安い定食屋で、労務者が「このお金でたらふく食べられるものないか!」と叫んだら、店員が「肉豆腐なら」と答えたシーン。

確か、二銭とか三銭とかの金額だったと思う。
大正時代、まだ一円が大きなお金だった時の話だ。今なら二銭が300円くらいの価値だったのだろうか。

私はこの場面描写が好きで、時々肉豆腐を作ってきた。
美味い肉豆腐、それさえあれば飢えが凌げる時代があったことを想像しながら。

なぜ、最近の家庭料理って肉豆腐じゃなくて麻婆豆腐なんだろう?
麻婆豆腐よりも肉豆腐の方が和食に近いし、豆腐やネギや野菜を出汁の旨さでいくらでも自分なりに作れる。

池波正太郎の食にまつわるエッセイでも、その近い時代の子供時代の食べ物の話が多い。

まだそんなに私が昔の食生活に詳しいわけではないので、趣味と実益を兼ねて調べてみたいと思っている。
美味しいものを食べるには、一番のご馳走はお腹を空かせること。
クタクタになるまで働いて疲れた時のご飯ほど美味しいものはない。

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