37年分の京都。
万歳、ステレオタイプ。
生まれも育ちも、きっちり37年京都です。
※先日、37歳になりました。
両親もしかり。同居していた母方の祖母も同じく。
所謂、生粋の、でござい。
今の会社に勤めだしてから、京都人は意地悪だからと言われる回数が本当に増えた。
京都選民思想説。とでも名付けておこうか。
いけずの申し子、京都ピーポー。
これ書いてて、思ったけど。冷静にお前性格悪いなと言われているのだろうか…。
だとすると、ちと傷つく。
京都の人って、そんなに意地悪?
この話題になると、調子乗って意地悪エピソードを話し始めてしまう自分がちょっと嫌やな、と最近の気付き。
別に京都じゃなくたって、いけずな人はぎょうさんおるし、京都人がみんな意地悪かと言われたら、そんなことはない、と思う。
うちのおかんを例に出すと。
嫌いな人には、ホンマびっくりする位いけずするけど、好きな人には衝撃的に愛情深い。
これは、うちには真似できひんなぁと思っている。
自己犠牲の人だ。
いけずエピソードを話すと盛り上がって聞いてくれる人がいるからそうするだけ。
でも、そう考えてみると。自分もホンマに縛られてるなぁと思う。A型やから、天秤座やから、末っ子やから。
なんか、ちょっとこう。
こうゆうのから離れて、自由になりたいなぁ。
人と自分を比べ過ぎている。
わたしに出来ることがあの人にも出来るとは限らないし。
その逆も然り。
そういうの。「ヒト ト クラベルコト」本当は全然意味ないと思う。
スタートとか条件を揃えて、よーいドンするのがスポーツとすると。人生、ほかの人とスタートとか違うやん?
ベースの細胞が一緒なこと以外、おんなじことなんかいっこもあらへんやん?
ほな、スタートは一緒じゃないし。
決まったルールもない。
そやけど、人とどうしようもなく比べてしまうのが、人間の性なんかなぁ。
会社では色のない人でいたいと思ってます。
無色のわたし。なんなら、透明で。
まっ、無理やけど。あれやこれやと言われるけれども。
思い込みとかしょうもない色眼鏡とか。
そんなんにだけは、苛まれないように。
生きていきたいと思います。
37歳、自分にとって本当に正念場。