時々思い出すあの時の正解は何だったのか?
確か、、、30年以上前
小学4年の時だったと思う。
給食の時間の最中だった。
私が隣の席の子との会話で言った一言で、担任が私に「ちょっと来い!」と言った。
え?と椅子に座っているともう一度強い口調で早く来い!と言った。
そして担任の席の前まで行ったら「メガネを取れ」と言って、
私自身がしていたメガネを外した途端に
往復ビンタをされた。
みんなも訳がわからず身動きが止まって物音すら消えた。
ことの発端は、その日の午前に起きた脱走事件から始まる。
何かの教科の授業中に私を含めた8人くらいが小声でペチャクチャと話をしていた。
どうもその日の8人くらいはテンションが高くおしゃべりが止まらなかったようだ。
そこでとうとう
担任がキレてその8人くらいを教室の後ろに立たせた。その後すぐに
「この教室から出て行け!」と怒鳴った。
そして担任も黒板に書いていた文字も途中に自分の席に座ってしまった。
THE 沈黙
15分くらい経ったところで8人くらいの中の一人が担任のところへ行き謝罪&授業の続行を懇願。
「いいから出て行け」とだけ言って目線を手元にも戻す。何やら帰りに渡す“おたより“を担任は書いていたように思う。
THE 沈黙セカンド
今度は先ほどとは違う8人くらいの中の一人が謝罪&授業の続行懇願リトライ。
同じ結果になった。
私はだんだんむかついてきた。脚も痛いし答えがわからん。
おっさんの機嫌の取り方が分からない。
こちらもシビレを切らしシンプルに私は出て行って欲しいんだなと思ったから、
隣に立っている子に
「え?出る?」と問うた。
「出るか」と即答アンサー。
そして8人くらいで教室を出た。
玄関で靴を履き替えるとそれぞれに散った。
私はアンサーしてくれた子の家に付いて行った。校門を出て右に進めばすぐにその子の家で、よく遊びに行っていた家だったから。私たちの後ろにも数人付いて来ていた。
家には誰も居なく、平日午前の一軒家に子供が数人いる奇妙な家と化していた。
私はおすすめで食パンをいただいた。食べたくはなかったけど、何となく教室に残っている子たちには絶対に出来ないであろうこの瞬間を味わいたくて食べたような気がする。そして主の子の自慢のCDコンポでプリプリ※の曲を聴いていた。
(※プリンセスプリンセス90年代大人気のガールズバンド)
その食パンを食べ終わるか否かくらいに家のチャイムが鳴った。
教室残留組の子2人が迎えに来た。
みんなで玄関に集合すると、残留組の一人が学校に戻れって先生が言ってるよ。と言い出した。
脱獄組は意味わかんねぇの合唱。私は沈黙の方の残留組に私の食べていた食パンを食べる?と言ってすすめた。いらない。のアンサー。
よって捕獲された脱獄組たちは担任の悪口を言いながら学校に戻った。
教室に戻るとまだ探索隊と脱獄中の子もいるようで全員が揃っていなかった。
全員が揃ったところで担任から説教で怒鳴られていたが何だか全く記憶がない。
私はといえば、舌で歯の間に挟まった食パンの残骸をなぞっていた。
まもなく給食でその後は気持ち的には何もなかったように給食の準備が終わり
いただきますを合唱して食べていた。
すると後ろのドアが開いた音がして振り返ると顔を真っ赤にした私の母親が立っていた。
私と目が合うなり駆け寄ってきて、後頭部をどつかれた。
「何をお前はやってるの情けない!!」
「先生本当に申し訳ありませんでした。このバカ娘がとんでもないことをして」
と私の隣で頭を何度も下げている。
担任は「あ、いえいえ」と言っていた。
どうやら残留組が私の家にも来たようだ。そこにちょうど用事から帰ってきた私の母親に遭遇して事の成り行きを説明したらしい。
母親は泣きながら教室を出て行った。
私は少し呼吸を整えてから給食に手つけようと思った。すると隣の子が、
「今日は帰ったらまたおばさんに怒られちゃうね?」と言ってきたので、
私は、「あぁ怒られてるの慣れてるから別にいいよ」と返した。
そこで話は初めに戻る。
私はこの出来事の正解が未だよく分からない。
全ての出来事に正解なんてないのはもちろんわかるけど。
担任目線だと、ただ焦っただろうなと思う。
うぇっ!?ホントに出て行った!?てな具合に。
今の時代だとどうなっちゃうんだろうなと。
いつの時だったか母親に聞いたことがある。
あとから担任が私を殴ったことを母親の耳に入ることになったのだが、
先生がそこで私を殴ったことは意味がわからないと言っていた。
私は思わず笑った。
ただの殴られ損 笑
かと言って、私は今何も思ってはいない。こうやって子供の時代のエピソードの一つだと思っている。
SNSが無くてよかったよな。
ただある時、数年前に私の親戚で高校の教師をしている人がいてその方の親が亡くなった時に私の両親が葬儀場に行ったら、殴った担任が来ていたそうで、母親が挨拶に行こうと近づいて行けばそそくさと帰ったと言っていた。
ま、そんなところだろう。笑
だけど唯一不可解なことは、子供心にあの日一緒に脱獄した私以外の子供達は皆あの日に帰宅をしても私が母親にどつかれたように怒られたという子が皆無だったことがすごく信じられなかった。
確かこれがきっかけで、早く大人になって家を出たいと思った最初の出来事だった。
たまに思い出すたびに、どうやったらよかったんだろうと考える。