マイノリティへの想い
考えすぎにつき、
また、心が歪んでしまって、
対人接触性が悪くなってきた。
悩み多き、今日この頃。
もう、考えまい。
と、何度も、決意するが、
すぐまたゴチャゴチャ、考えてしまう。
今日は、爆弾発言をします。
マイノリティの方々、
また、そのご家族の方々を、
傷つける内容かも知れません。
そう判断した場合、
すぐに削除いたします。
昨日の夜、夫と話した。
夫は、どんなに一生懸命、小説を書いても、
出版社に認められない、ことから、
認められて、プロの作家になったら、
自分は偉いと、才能がある、天才だと、
思うようになって、
人間的に、マズいことになる。
というようなことを言った。
だから、一部の人に読んでもらうだけで、
充分じゃないか。と。
一方、私には、夢がある。
賞は、そりゃあ、とれないだろうけど、
なんとか、読んでもらう方々を、みつけていくこと。
だから、賞にも、ダメもとでも、出したい。
私は、自分が、社会の最底辺にいることを知っている。
と夫に言うと、
夫は、
どういうところが?
自分たちより、不幸な人なんか、
たくさんいる。
と言った。
私は、
まだまだ、私より下がいるんだぞ。
私は、その人たちよりも、上なんだぞ。
上見て暮らすな、下見て暮らせ。だよね。
というような、考え方は、
大嫌いなんだ。
と、はっきり言った。
夫は、そういう意味ではない。と言った。
けれど、
自分が最底辺であることは、当たらない。
と。
私は、昔から、こうしようという姿勢を決めて、生きてきた。
いつも、弱い者の味方でいよう。と、考えてきた。
そして、そのように、行動していた。
私は、自分が、
社会の最底辺にいることを知っている。が、
それは、小さい頃から決めていた姿勢、からすると、
願ったり叶ったり、の立ち位置なのだ。
私は、この地上で、
最も不幸な人たちと共にいるために、
統合失調症、という病気に、かかった。
神様が、かからせてくれた。
と、思っている。
心の病気だとか、
精神の病気だとか、
魂が分裂する病気だとか、
的外れな言葉が、いちいちあてられていて、
人は、恐ろしがり、
避けて、遠ざける。
統合失調症患者は、孤立し、
ストレスで、幻覚妄想状態になり、
異常行動をしてしまって、
もしかすると、殺人を犯してしまうかもしれない。
そしたら、余計に差別がひどくなって、
また避けられ、遠ざけられる。
孤立する。
その繰り返しだ。
たとえば、犯罪者も、同じなのである。
彼らは、心が歪んでいる。
魂が歪んでいる。
と思われているのかもしれないが、
私は、脳科学者のようなことを言うが、
おそらく、彼らは、
生まれつき、脳の状態が、そのようになっているのである。
もちろん、環境も、
重大なひわみを起こすに、
充分なほどの、
過度なストレスがかかれば、
影響があるだろうが、
たとえば、
いじめられっ子が、
みんな、犯罪者になるだろうか?
たとえば、
みんな、精神疾患になるだろうか?
過度なストレスがかかると、
肉体の、弱いところが、やられるものだが、
その、弱いところ、というのが、
脳だった場合、
生まれつき、脳に脆弱さがある。
もともと、そういう脳の状態であった。
ということが、考えられる。
統合失調症患者は、
ドーパミンが吹き出し、
双極性障害(躁鬱病)患者は、
セロトニンが吹き出し、
犯罪者は、
脳の、どこか分からないが、ひわったところがある。
しかし、ちょっと前から、
まことしやかに、言われているように、
精神外科が復活するべきだとか、
遺伝子操作をするべきだとか、
そんなことは、ちょっと、やめてほしいと思う。
科学が何をしてもいいわけではない。
犯罪者は、もはや、
その状態のままで、
飽くまでも、人道的に、導いていくしかなく、
統合失調症患者も、躁鬱病患者も、
クスリくらいで、いい。
私は、電気けいれん療法も、
どうかと思っている。
他のマイノリティの方々についても、同じである。
「疾患」ではなく、「個性」ではないか。
という方々もいらっしゃる。
私は、そういう考え方は、とても良いと思う。
マイノリティの方々は、異常ではない。
独特の、「個性」を持っているだけである。という考え方。
しかし、犯罪者など、
社会に相容れない「個性」もある。
早くから、見つけて、見守る、というのも、
悲しき「特別視」となって、
その人を苦しめる。
あたたかい人間関係の中で、
脳が癒やされていくような、
そんな社会になるといい。
もとの話に戻るが、
私は、そういう、言われ無き誤解と迫害を受けている
マイノリティの方々と、共にいられることを、
誇りに思っている。
何も持たない私が、持っている、
唯一の、誇りである。
また、最底辺だから、
なにもしないのではなく、
なにか、できることをしたい。
私には、小説しか書けない。
それも、うまくはないけど、
他のことは、何もできない。
小説を書くことで、
マイノリティの方々が受けている、
言われ無き誤解、迫害を、
無くす、手助けをしたいのである。
だから、ダメ元でも、賞にも出す。
一次選考も、いつまでも通らないかもしれない。
だけど、出す。
なるべく多くの方々に、読んでもらえる可能性を、
模索したいのである。
なるべく多くの方々に、読んでもらいたい。
と自分でも思える、そんな小説を書くことが、
一番大事なことなのだけれど、
それも、なかなか難しかったりするから、
道のりは、長い。
だから、今からも、一生懸命、頑張っていく。
まあ、周りからは、
頑張らないことを、頑張ってください。
とか、
病気柄、言われるのだけれど。
以上、長くなってごめんなさい。
昨夜、私の考えたことでした。
藍崎万里子