"Why did you want to learn English?" を考えてみる
よく「どうやって英語を勉強したの?」とか、"Where did you learn English?"と聞かれる。
たぶん今までの人生で聞かれた質問トップ5ぐらいに入っているが、一度もうまく答えられた試しがない。
"Where?"に関しては、最初は日本の学校教育だし、留学したのはアメリカ・イギリス。通訳をしたピースボートに関しては「船の上」。なので、「ここ!」とピンポイントで示すことができない。
"How"に関しても、試した方法がたくさんありすぎて、一体どれが良かったのか分からないし、どれが相手も使える方法なのか分からない。
・・・という感じで、伝えたいことを伝えきれた気がしなくて、もやもやしてしまう。
ただ、もしこれが"Why"の質問だったら。
前回の記事で、私が"Why do you want to learn English?"と、英会話を学びたい方に聞くように、自分に聞いてみたらどのように答えるのか。
その質問の方が自分にとって大事な気がしている。
「必ず戻ってこよう」と誓ったこと
「英語を話せるようになりたい」と意識するようになったのは、中学3年生のとき、アメリカでホームステイしたことがきっかけだった。
10日間という短い期間だったが、カリフォルニアで夫婦二人のお家でホームステイした。
英語は好きで英検を受けたり、色々と勉強はしていたが、実際に現地に行ってみると、言いたいことが全く通じなかった。相手が言っていることも分からなかった。
自信を持って言えたことは、"Can I help you?" ぐらいだった。「ことばで通じ合った」という感覚はほとんど無く、それでも毎日お互い必死に相手の言っていることを理解しようとした。最後にお別れをするとき、私もホストマザーも泣いていた。
「もっと勉強して英語をもっと話せるようになって、絶対ここに戻ってこよう」
そんなふうに誓った。
でもそれ以来、会えていない。引っ越しをしたらしく、住所も分からず、探しようがない。
でも、伝えられないことのもどかしさや、言語の壁を越えたいという気持ちをはっきりと感じるようになったのは、ここからだった。
「誤解されたくない」という気持ち
じゃあ日本語だったらコミュニケーションに自信があったのかいえば、そうでもない。
そしてそこに、私の自己表現に対する深いニーズがあったんだと、最近気づいた。
「英語」という分かりやすい壁があったからこそ、必死に乗り越えようと努力した。でも本当に乗り越えたかったのは、「言葉が通じないこと」じゃなくて「気持ちが通じないこと」だったんだと思う。
私が訳した「評価的な言葉から共感の言葉を見つけるためのシート」を眺めてみると、心がチクッとする、自己表現に関する評価がいくつかある。
特に「誤解された/ misunderstood」に関しては、一番心がざわつく。
幼少期を振り返ってみると、親に対して「どうして分かってくれないの」という声だとか、意図しなかったことを言ってしまい、引っ込みがつかなかった時のきまりの悪さを思い出す。「そんなつもりで言ったんじゃないのに」という後悔や、自分を責める気持ち。
そういった「表現しきれないもどかしさ」や「分かってもらえないときの悲しさ」が、コミュニケーションに対する本当の原体験なんだと思う。
そして、「言葉というツールを使いこなしたい」というよりも、本当は「通じた」先のつながりの感覚を求めている。
誤解されたくない本当の理由は、「相手とのつながりが感じられないから」なのかもしれない。
大学で海外進学をした本当の理由
中学校3年生のホームステイの経験から、大学進学を考えたとき、漠然と「大学でも留学したい」と思うようになった。でも、丸々留学するなんて思っておらず、最初は交換留学できる日本の大学を探していた。
海外進学をした一番大きなきっかけは、学校の行事で広島へ行ったことだった。平和について考える研修旅行で、原爆や戦争の話を被爆者の人たちから直接聞いた。
あまりにも突然、全く知らなかった世界を知った。
感じたことのないような痛み、恐怖を全身で感じた。涙が止まらなかった。
そして、「私たちが行動しないと、また同じことが起きてしまう」ということにも気づいた。
平和な世界をつくるには、国連で働くしかない、と思った。
そうして「国際関係学」や「英語」というキーワードを思い浮かべたとき、海外の大学へ進学することも視野に入ってきた。
その後どうやって留学したかは別の話になるが、その時から、そして留学中もずっと「平和な世界をつくるため」⇒「国連で働く」⇒「大学院に行く」⇒「大学でいい成績を残す」⇒「英語をがんばる」ということが頭にあった。
今思うと、ナイーブで、理想的で、絵に描いた餅だったけど、それが確実に私の原動力の一つだった。
もう一つの憧れ
アメリカの大学に行って、たくさんの経験を得た。英語が話せるようになったことも一つだったが、その先にある世界を体験できた。
それは、世界中の人たちとつながる、ということ。
私が留学した大学は、アメリカ中西部の片田舎の大学だったが、国際交流に力を入れていて、留学生の数も多く、色んなイベントがあった。
私自身も留学生団体の幹部メンバーをやったり、新しい留学生のケアをするメンター役に応募したりした。
母国語がみんな違う、世界中から来た人たちが英語でつながる場があった。
言葉、宗教、生い立ち…ありとあらゆる違いを越えて一つになれる世界があった。
その世界にもっと浸りたい、自分の手でつくりたい。
今もそんな憧れと共にいる。
つながり。
"Why did you want to learn English?"
私にとっての答えは、"because I can be connected with people from all over the world." 「世界中の人たちとつながり合えるから」。
今、心に浮かんでいる一つの夢も、「つながり」「英語」「世界」というテーマと共にある。
すでに、NVC(Non-voilent Communication)では、英語で世界中の人と深くつながり合える世界がある。
そこにアクセスしたい。
そして日本語を母語とする人たちにも、その世界を経験してもらいたい。
Separation(分離)からintegration(統合)の世界へと。
Inside out, internally, externally, 内側から外側から。
自分と他者と、つながれる世界へ。
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