ポンコツ、海外逃亡記録銀行口座編。

某月某日。
日本を抜け出し某国某町への脱出成功。
絵に描いたような地方都市で生まれ育ちゴリゴリの九州男児に育てられバックパッカーとなり海外にかぶれた結果、日本に適応できなくなった可哀そうなポンコツこと私である。

意気揚々と越してきたのはいいものの低い英語力、コネもない。
あるのは8年かけて卒業したなけなしの大卒カードと、カスを雇い続けてくれた上司から恵んで貰ったぼちぼち長い職歴、あとは勢い?だけである。
32年の人生、コミュ力と勢いで乗り切ってきた。

最初の1週間はとにかく街を歩き回った。まずは安い食材の入手経路の確保が貧乏人の生命線なのだ。31にもなって親から借りたなけなしの金があるうちに仕事をゲットせねばならない。できる限り最低出費で命を繋ぎ生き延びるのだ。

まずは銀行口座を作ろうと試みた。
日本のクレジットカードなんぞとっくの昔に焦げ付いて出国前に片っ端から審査を受けたが通るはずもない。親からもないが社会的信用もゼロの私だ。
ゆうちょに全財産を入れネットバンキングの手続きをしてきたのでこっちの口座を開設して移動させなければ金が引き出せぬのである。死活問題だ。

1度目。

銀行前で道端でタバコ吸ってたおばちゃんにこの銀行どう?と聞いたら「この国で一番いいわよ!!!使い勝手もいいわ!!!」と言うのでまんまと入店。噂通り優しそうなハゲたおじさんが椅子に座らせてくれた。

が。

今の家に住んでいる証拠がないと出せないと。手紙か住所が確認できる書類が必須なんだと。猿にもわかりそうな簡単な言葉を選んで丁寧に教えてくれた。
海外には住民票という文化はない。出国前に役所に出してきた海外転出届にも転出先の住所を書く欄はない。
31歳独身住所不定無職の爆誕である。

IRDナンバーがどうとか言われてた気がしたがオッケーオッケーと聞き流し、ほかの銀行に行けばルールが違うから開設できるかもと言われ、言われたとおりに行ってみたがまあああああああああ感じの悪いおばさんでこちらが理解できてないのわかっていながら早口で捲し立てられ、ぜってえここじゃ作らねえ!!!と心に中指を立てたのであった。

2度目。

出国前に送っておいた荷物が届いたので、その伝票をもって再突撃である。
「住所!!持ってきたで!!」
とワーホリビザのコピーとパスポート、荷物の伝票を机に並べドヤる私を尻目にお姉さん苦笑い。
「公的書類じゃないといかん。IRDナンバーをとりな?私的な郵便物じゃいかんのよねえ・・・。私の名刺に何が必要かリスト書いとくからまた来て」
と。

IRDてなんやねん。知らんぞ。と思いながら意気消沈し帰宅。
帰宅して調べてみるとなにやら税金のやつらしい。年金手帳と納税限定のマイナンバーの合いの子とでもいうのだろうか。
自力で手続きを試みたがなかなかうまくいかず手こずっていたら博愛の同居ニキが手取り足取りやってくれ、なんとか取得。ニュージーランドに移住やワーホリで来たらまず取得せねばならない大変重要なナンバーなのだ。

3度目。

三度目の正直である。IRDも取った。ビザもパスポートも大丈夫。三度意気揚々と銀行へ。私の顔を見た途端”またお前か”と笑うお姉さん。
書類を机に並べIRDナンバーを携帯で見せる。住所もそのページに書いてあるのである。どうだ。無敵だ。もらった。長い闘いも終わりだ。
とドヤる私。頭を抱えるお姉さん。
「書類じゃないといかんねん。IRDのとこに連絡しろ。PDFか書面を送ってもらって。ごめんねえええええ。あとちょっとだから!!!がんばって!!」
と。あと一歩であった。

I'll be back!!!
と親指を立て笑いを取る余裕である。

まあ、その後、博愛の同居ニキにWISEを教えてもらいあっという間にクレジットカードを手に入れ無事家賃も払え、生活費も引き出せた。カードが届くまでの2週間、貧乏を極めた私に「100ドルくらい貸そうか?」と博愛の同居ニキ。こんなぽっと出の出会って数週間のちゃんちゃんこ着た得体のしれない日本人に金を貸してくれようとするなんてええやつや。前世ブッダかな。

かわいくない私は「大丈夫!!貧乏には慣れてるから!!米もまだまだあるし!!日本人は米さえあればどうとでもなる民族やねん!!!」と返したのであった。

これから先、何度博愛の同居ニキに助けられるかみなさんもう想像がついたことでしょう。

ただ、博愛の同居ニキが私のことを異性として好きだからここまで世話を焼いてくれていると思いの方も多いでしょう。
違うのだ。彼は誰にでも優しいのだ。標準装備で世話焼きの博愛の人なのだ。勘違いしてはいけない。痛い目を見るぞ。おばあちゃんにも、ニートにも、ポンコツにも、みな平等に優しいのだ。

彼も私がこちらに来た頃は職場でいろいろあり、フードをかぶりサングラスをかけヘッドフォンをしバルコニーで世界終わり顔で数週間一点を見つめていた。

ユートピアもガンダーラもないのである。
人間が生きていくのは日本でも海外でもそれぞれに大変なのだ。

日本に適応する苦労より海外で一人生活基盤を築く苦労を選んだポンコツの奮闘記録を残そうと思った次第。

何卒、気を長く持って、御贔屓に。






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