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愛しくも滑稽な煙草の煙

僕はかつて、よく煙草を吸っていた。
しかし、自分の身体に染みつく臭いがとにかく不快で、それが家にまで移るのがとても嫌だったので、妻と出会う前にすっかり辞めてしまっていた。
けれどいまはかえって、旅先でのみ、本当に退屈な時や一人きりバーで酒を飲む時なんかのために、一箱だけ持って歩いている。
吸う時もあるし、忘れてそのままポケットに入りっぱなしの時もある。

相変わらず臭いは苦手だが、煙草を吸っている時のスローな感じは好きだ。
今の世の中、どこでも吸えるわけじゃない。わざわざ喫煙所を探したり、煙草の吸える店を探すのは滑稽だ。
ただ、行った先がたまたま煙草が吸えたという場合、ポケットから箱を取り出して火を付けて、その雰囲気ごとたっぷりと吸い込むのは心地いいものだ。

ごくたまにしか吸わないから、少しお高いアメリカン・スピリットを常備している。もう1年以上も前に旅先で買ったものだから、しけっていて本来の風味など失われてしまっているけれど、ゆっくりとゆっくりと楽しみながら吸うには適した銘柄だと思う。
吸い込んだ時の、舌先にピリッとする刺激、煙に冷たさ、甘い後味。本を読みながら5、6回吸って、飽きたら揉み消す。この程度で十分だ。
チェインスモーカーのように次から次へと火をつけることはない。あくまで目的は雰囲気を楽しむものであって、煙草そのものではないからだ。

そういう点では、僕がいまでもたまに煙草を吸うのは、初めて煙草を吸った時の動機とさほど変わっていないと思う。
ようは「なんとなくかっこいい」という勘違いだ。
いつとは言わないが、初めて煙草を吸った時、少しやんちゃな先輩が大人たちに隠れて煙草をふかしている姿がなんとなく格好良くて、真似をした。
今思えばそれは滑稽だし、いま煙草を吸っている自分も滑稽だと思う。

けれど。
大抵の場合、自分が格好いいと思っていることは滑稽なものだ。
というか、誰も自分に興味なんてない。

だからこそ、適切な場で誰にも迷惑をかけず、自分だけが自分をかっこいいと思いながらその雰囲気を味わうことは、人生を楽しむ上では大切なことなのではないかと思う。

おわり

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