ゴーストライターの悲哀②俺に負ける俺

昨日、当時付き合っていた女性の高校の課題をゴーストライトしていまい、思いの外大事になったという記事を書いた。(ゴーストライトなどと言う言葉があるのかは知らん)
もちろん特定されないためのフェイク多分にあるが、おおよその流れは事実である。
今から語るお話も、特定回避のためだいぶフェイクを入れていることをご留意ください。

さて、この話からおよそ一年後。
大学3年生になった僕は、ある科目を受講していた。
割とマニアックなジャンルなので本当にざっくりといえば「スピーチを学ぶ」といったところか。
プレゼンや講演など、人前で話すことに特化した科目。
この講義で特殊なのが
「スピーチ力3、原稿7」くらいの基準で採点がなされることだ。つまり、基本的には原稿の良し悪しで判断され、+αでスピーチ力、ようは話術が加点される。
前後期合わせて1年の講義で、前期では座学...講話の手法や教授による実演など学びながら、各々ネタ探しをする。スピーチの課題は年度によって変わるが、テーマは毎回曖昧なのでまあまあ自由度が高い。「自分の経験を必ず入れること」というのが最低限のルールだ。
そして、後期になると、学生が発表をしてゆく。必修科目だったので、受講者も多い。90分の講義の中で、5名が15分ずつ話す。公平を期すのと、サボりを減らすため、ランダムで当てられる。

結果から言おう。
その科目で、僕は3番目に優秀な成績を収めた。
悔しい。原稿を書くことにも自信があったし、人前で話すのも得意だ。
しかし、成績1位は社会人経験のある50代の女性がかっさらっていった。話はそこそこうまい程度だったが、穏やかな喋り口で安心感があって聞き取りやすいし、何より文章が美しかった。後から原稿をコピーしてもらったが、本当に良い文章で、さすがに経験も豊富なのか感動的なストーリーだった。悔しいが納得の敗北だ。

では2位は誰か。
僕である。

いや、正確に言えば「僕が書いた文章」である。

そう、2位の獲得したのは僕の友人で、その原稿をほぼ僕が書いたのだ。

ホリエモン方式でうっかり自己ベストを叩き出す

堀江貴文氏、通称ホリエモンは、いくつか著書を出しているが、そのほとんどは口頭で話した事を、ライターが書き上げる方式なのだという。
彼は実業家で多くのことにチャレンジをしているから、自分でゆっくり筆をとる暇などないのだろう。彼らしい、賢いやり方だ。

僕が友人に相談を持ちかけられたのは、くだんの科目の前期履修中だ。
「おれ文章全然書けないんだよなぁ
奢るからちょっとアドバイスくれよ」

そう言われて、授業終わりに車に乗ってマクドナルドに向かった。
空いている店内。ポテトをつまにながら、話を聞く。
「まずテーマすら決まらん」と友人。
どこかで聞いたセリフである。
「オーケー。じゃあ、まず最低限のルールである『自分の経験を入れる』ってのからやってみよう。
今まで一番おもろい経験ってなに?」
「一人でインドに行った時、タクシーでホテルまで行くように伝えたら全然知らん町で下ろされて野宿した」
「オーケー、面白い」

そんな会話をしながら、少しずつ彼の経験を引き出してゆく。ありがたいことに、彼の趣味が海外一人旅だったので、ネタは尽きなかった。
僕はノートに彼の経験を書き起こしながら、話を聞いてゆく。
最終的に「ヨーロッパの田舎道を旅している時に体調が悪くなって道端で寝転んでいたら、同じく旅行者の女性に助けてもらった」という話をテーマとすることになった。例の如く特定されかねないのでこれ以上詳細は話せないが、結構感動的な話だ。
僕がとったメモは20ページを超えた。
「このメモを元にしたらすぐ書けるんじゃないかな?」と誇らしげに差し出すと、彼からこんな言葉が帰ってきた。

「もう、お前が書いたほうが早くない?」

確かに。薄々思っていた。
彼から出てくる言葉を書き留めているうちに、気づけばほぼ原稿が完成したくらいの文量になっていたのだ。
なんなら、僕自身若干のこだわりがでて、文章の順番を入れ替えようとか、ここは少し盛ろうとか、エピソードを聞くだけでなく構成まで考えてしまっていたのだ。あとはキーボードで入力して、細かい修正をするだけで原稿は完成する。

「頼むわ、またマクド奢るからもう書いてくれん?」

報酬が安すぎる。
そうは思ったが、文章を書くこと自体嫌いではなかったので、すんなり受け入れることにした。
なにせ、エピソード自体は彼のものだし、ここまで完成しつつある原稿を彼のものにするのが少し惜しかった。もはや作品に対する親心である。

そんなこんなでまたゴーストライターをしてしまったわけだが、僕はすでに自分の原稿を書き上げていたので、暇つぶしにはちょうどよかった。

しかも、正直どんな出来であれ僕には関係がない。酷評されたって、友人の評価が下がるだけだ。気楽なものだ。自分の原稿を書くときは、あれだけガチガチに論拠を集めたり推敲を重ねたのに、他人のものとなると適当である。
特に推敲も裏どりもせず、自分の両手指が赴くままにキーボードを叩いた。

しかし、この軽やかさ、肩の力の抜け具合が、ありのままの僕の文章を引き出すこととなった。

人の評価を気にしていないからこそ、非常にのびのびとした文章が完成した。
しかもエピソードはつよつよである。
自分で言うのもなんだが「僕の文章×友人の経験」、まさに鬼に金棒だった。

ちなみに僕は大学卒業後、数年間ふらついた末になんやかんやで就職し、とある媒体の記者兼編集者っぽいことをしていた。毎日何かしらの文章を書く仕事である。30歳で稼業を継ぐまでの5年間、ひたすらに文章を書きまくった。

さて、そんな風に文章を書き続けてきた僕だが、本当に残念でならないのだが(今現在を含めても)僕の文章のベストは、この友人のゴーストライターとして書いた原稿である。
気楽さってクリエイティブにとても大切なのね。

更にだ。友人も友人で自己ベストを出しやがった。
彼は正直、人前で話すのが苦手だ。下手と言ってもいい。言いたいことがまとまらず、スピーチの技術もなく、たどたどしい。

しかし、彼は発表者に指名された日、ゾーンに入る。

そう、彼は彼で自分の書いた文章じゃないからこそ、めっちゃ気楽だったのだ。

しかもエピソードは自分のもの。そこに、僕が「聞く人がわかりやすく、感銘を受けるような表現を用いた原稿」なんてものを書いたものだから、彼は話すことだけに集中すればよかったのだ。彼は一流の弁舌家のように澱みなく言葉を発し、聞くものを魅了した。

正直僕も「めっちゃええやん。」ってなった。
自分が書いた文章で内容も全てわかっているのに普通に感動した。

彼の15分が終わったあとの拍手は、明らかに今までのどの発表者とも違っていた。驚きと感動に満ちた拍手だ。発表後の教授の講評も絶賛だった。なんだか僕もとっても誇らしかった。


僕の発表は、翌々週であった。
「この間は俺が書いた原稿があんなに受けたんだ。そこに俺の話術が加われば、最優秀間違いなしだ!!!」


教授「内容は概ね良かった。まぁ...しかしあえて指摘するとすれば....

話したいことがたくさんあるのはわかるんだが、そのせいで趣旨がぶれているな。テーマは一つに絞らねば。あと、経験の描写が薄い。もっと違うエピソードはなかったの?あー、あと小難しい言葉を使うんじゃない。活字だといいがスピーチだと伝わらんぞ。」


ゴーストライターの方が互いに真の実力を出せる場合もある

結論。僕はゴーストライターの方が能力を発揮できるかもしれない。
自分名義だと、どうしても「褒められたい」という欲求が邪魔をする。
承認欲求は、どうしても自分を綺麗に飾り付けてしまうものだ。

あと、友人はゴーストライティングされる才能があった。まさに佐村河内である。ホリエモンである。(一緒にするのは流石に失礼だが)

僕はゴーストライターが悪いとは思わない。
だって、それぞれが苦手をカバー試しあい得意分野で助けあるになら、それこそ真の多様性ある社会ではないか。

ただ、やはり僕はどうしても佐村河内事件に際に告発をした作曲家に新垣氏の気持ちに引っ張られてしまう。

そう...ゴーストライターは、自分の代わりに称賛を受ける人を見るとこう叫びたくなるのだ。


それ書いたの、俺だから!!!


おわり

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