[ごく個人的なこと]祈りから「わたしが、つなぐ。」へ〜アビが鳴く〜
今、感じていることを忘れないために。
東京で生まれ育ちましたが、幼稚園のころに母に連れられて丸木美術館で原爆の図を観たことが強烈な原体験で、小学生の頃から先の戦争で何があったのか強い関心がある子どもでした。
その感覚はずっと変わらず、高校生になる頃には「何があったのかを伝えるために歴史の教員になる」という明確な目標ができて、大学は史学科に進学。日本の近現代史、そして歴史教育を専門に勉強していました。
残念ながら教員になる夢は断念したけれど、それでも20代の頃は「自分にできることは何か」と考え続けて勉強会に参加したりしてたのに、子育てと目の前の仕事、生活に追われる中、いつの間にかずっと持っていた「何があったのか次の世代に伝える」問題意識がぼんやりとしたものになっていくのを自覚していました。
今回、ポルノグラフィティがテーマソングに取り組むというこのプロジェクト。
発表された時から「わたしが、つなぐ」というコピーが、めちゃくちゃ刺さりました。
「わたしが」です。
「大事だことだよね」で済ませず、自分ごとにする。
ぼんやりしてしまっていた自分のことを省みざるを得ない。
アビが鳴く、私にとっても大切な楽曲です。
(初めて聴いた時は、ポルノグラフィティにこういうストレートな曲があることが少しだけ意外に感じました)
この祈りを否定するひとはいないと思う。
大切な祈り。
でも今回のプロジェクトは、ここからもう一歩踏み込むテーマ。
百年先に生まれる子らが同じ想いを抱くために、いま、自分がなにをできるのか。
自分が、どうつなぐのか。
キックオフの番組で取り上げられた、実際に行動している若者たちやそれを支える人の姿(高校生も素晴らしかったですが、それ以上にその高校生に関わる先生や大人たちに惹かれます)を観ながら、「すごいね」「えらいね」で終わらせないために、「わたしが」なにをするのか、つなぐのか。
こんなひとがいることも初めて知りました。
「綺麗事」と言うひとも多いと思う。それでもなお行動する姿勢に、すごいなと思うと同時に、悔しいな、とも思う。諦めた自分を悔いる。
アビが鳴くで、一番刺さったのはこの歌詞でした。
番組内でも放映されたこちらの楽曲も知ることができて、よかった。
あたたかい歌声、あたたかいメロディ、だからこそ、あたたかな当たり前の日常が全て失われた悲しみ、苦しみ、怒りが伝わってきます。
きっとポルノグラフィティのおふたりも深く考え、悩み、対峙しているのだと思います
今回をきっかけに私も一緒に自分ごととして考え、つなぎたいと思います。
最後に、2019年の11月に初めて広島を訪れた時に当時Facebookに書いた文章をこちらに転載します。
当時、忘れないように帰りの新幹線で一気に書きました。
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出張は土曜日の夕方に広島駅で終了しましたが、人生初の広島。
私費で後泊をして、平和記念資料館へ行ってきました。
当初の予定では午前中いっぱいで平和資料館を引き上げ、午後は宮島へ行こうと計画していたのですが、あの資料に全力で対峙したら、とても数時間で廻れる内容ではなく宮島は断念。
資料前半のメインは個人のストーリーと遺品が続きます。
キャプチャは長々とは語らず、分かりやすく短いテキストですが、幼い子どもの短いことばから、人生を狂わされた家族のつらい末路まで、確かに生きていた一人ひとりの切り取られた物語がずっとずっと続き、単なる「死者14万人」という数字ではない重みが静かに伝わりました。
私は見たことがないですが、リニューアルで撤去された被爆人形のような、ひと目でショックを受けるようなインパクトが強烈な展示はほとんどなく、見る側がひとつひとつのストーリーを読み、想像することで何が起きたのか伝えようとしているように感じます。
個人的には、絵描きではない一般の被爆者が描いた数々の絵が、「あの日」の悲惨さが一番伝わってきました。
資料後半は、軍都としての広島の歴史や、原爆の開発からポツダム会談、投下、戦後から現在に至る核兵器の歴史がかなり分かりやすく解説されていて、最後まで気の抜けない展示。
「二度とこのようなことを繰り返してはならない」という広島からの強いメッセージを感じさせる内容でした。
朝鮮半島出身者や捕虜、南方留学生の被害についての展示もあり、少しほっとしました。
平和資料館に6時間滞在。
すっかりお昼も食べ損ねましたが、帰りの新幹線の時間も気になり始め、その後はあらかじめ見たいと決めていたところにターゲットを絞って廻りました。
・国立原爆死没者平和祈念館
・原爆死没者慰霊碑
・韓国人原爆犠牲者慰霊碑
・原爆の子の像
・原爆ドーム
・動員学徒慰霊塔
・原爆スラム跡地
・爆心地
これだけ絞り込んでも結構な時間がかかり、朝の8時半から16時まで平和公園周辺に滞在したものの、最後は走っていました。
原爆スラムは「夕凪の街 桜の国」が印象的でどうしても跡地に行ってみたかったところ。前日の夜に広島城へ行った後に目指したのですが、時間切れで辿り着けず、リベンジ。
初めての広島は、日曜日だったこともあるのでしょうが、観光客の数がものすごく多い!
平和資料館や平和記念公園もかなりの混雑ぶりで、特に欧米からの外国人観光客が多いことも印象的なでした。
わざわざ広島を選んで来る外国人がこんなにもいるんですね。
なかなか来れなかった広島、今回ひとりで見て廻って大正解でした。
次は子どもたちと来ます。
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下の子が中学生になるのを待っていたのですが、その頃にコロナ禍に突入してしまい、行けずじまいになっています。
長崎にも子どもたちと行く予定にしていたのが、やはりコロナ禍でお蔵入りしてそのまま…
あの地に立たないと分からない、感じられないものがあります。
たとえばふと目にした慰霊碑に、馴染みのある関東の学校名を見つけた時。
思いつきの観光目的で訪れた広島城が原爆で倒壊して再建されたものであると知って、この街のどこも原爆と無縁な場所はないのだと実感する時。
川に沿って歩きながら、この穏やかな川があの時どんな光景だったのか、戦後はこの河原にどれだけの人が暮らしたのか想像する時。
やっぱり、広島に行かなくちゃね。
ぼんやりしていた私に考えるきっかけを与えてくれたこのプロジェクトとポルノグラフィティのおふたりに、心から感謝です。
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