夏が終わる。
去年の8月に突然休職生活に入ってから早1年が経ってしまった。
1年休んでみて初めてわかったことがある。
私は休むのが上手い。
いや、昔からのんびりまったり大好きなのでわかってはいたのだが。
1年休んでみて、まだ休んでいられる。むしろずっとこのままでいたい。
プロ休み師という職業があればなれる自信がある。
やばい。ただのなまけものだ。
1年というありがたすぎる時間。
もうちょっと社会的によいとされる過ごし方はあったと思う。起業してみるとか資格の勉強をしてみるとか。
ぼんやりと幸せに浸ってたら1年経ってた。
これが10代20代ならまだしも私はこの夏47歳になってしまったのだ。
相当やばい。なまけものおばちゃん選手権があればきっと優勝だ。
さらに畳み掛けるように無職になろうとしている。
先日そろそろかな、という謎の勘に従って退職届を郵送した。
謎の勘、別名「なんとなく」
「なんとなく」で生きている。
流れには乗る。
神様はいると思っている。(お天道様が見てるレベルで)
そして神様を信頼している。
神様は悪いようにはなさらないだろう。
ありがたいことに働き盛りの中年の時期に1年間もの大人の夏休みを過ごさせていただいた。
夏休みの宿題は何だったのか。
神様を信頼するように自分を信頼すること。
神様と自分がひとつのものであると腑に落とすこと。
夏休みは終わるけれど、まだ宿題は終わらない。
人生は実験だ。
腰の重いおばちゃんの実験は遅々として進まないが、好奇心は子供のように軽やかに、まだ見たことないものをみて、感じたことのないことを感じて人生の折返し地点を通過したい。
「てんのかみさまのいうとおり」生かされている命を活かすためのエネルギーはしっかりチャージされたかな。
そのときはくる。
そしてそのときはなんとなくわかる。はず。
だからだれもが大手を振って堂々と休める社会であるといいと思う。
休んだらおしまい、ではなく何かのはじまり、だと思うと楽しくなってくる。
さなぎから蝶になるように。その命が輝きたいように輝けるように。
人生の第2章の始まりは、秋だ。