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終わりの その先

続きがあると言われ、坂道を登っていく。

途中、秋桜がサワサワと揺れていたり、トンボや蜂が心地の良い場所を探しているみたいにふわりと飛んでいる。見上げてもてっぺんは到底見えない程に大きな木の周りでは、何十羽にもなる鴉が大きく翼を広げて遊んでいた。風が気持ちいいよね。おじいさんらしき鳴き声の主もいるね。
息子と手を繋いで、時には「ひとりで歩けるよ」と言わんばかりに振りほどかれながら、たった10数メートルをゆっくりゆっくり登った。

目の前に鬱蒼と、雑然と、のびのびと思い思いに伸びた木や草たちが現れて。右を見れば古い住宅、左はどこまでも農地。続きはなかなか見つけられなかった。
あぁ、人生と一緒だ。
深いため息が出てしまいそうになる。出てしまったっていいのだけれど、そうなるともうどこまでも落ちていきそうだった。

あると思っていた続き、来ると思っていた明日、会えると思っていた人、感じられると思っていた温もり。

終わりがくる。

こんな時でも、息子のお陰でにこりと笑顔になれることが、どれほど救いになっているか。

あるはずの続き。

茂みの前でしゃがみ、小さな小さな身体をぎゅっと抱きしめながら、戻ろうか?と声をかけると、あーきと応える。だいすき、と言っている。

息子の視線の先。茂みの中に転がっていた、栗になりきれなかった小さな実を見つけ、ひとつ拾う。その奥にもうひとつ。草や枝が身体を撫でても気にしない、ぐんぐん突き進んでいく息子。髪の毛に枯れ葉をつけ、ズボンに土をつけ、3つ拾ったところで息子を追うことに必死な私も気づいた。ここが朽ちた階段であること。ここが、終わりではなく、続きであることを。

登り切った先は、旧分校。視界が開け、古い校舎にバス停、昔使われていたであろう小さな椅子、枯れ木に落ち葉にどんぐり。
秘密の場所に来たみたいに、2人で目を合わせてにんまり。あったね。
見つけてくれて、ありがとう。

ベンチに座ってお茶を飲み、赤ちゃんせんべいを食べ、どんぐりどうぞを繰り返し、落ち葉をふみふみして。当時の子どもたちを想像しながらのこの時間、終わりのその先は、私と息子だけの秘密基地だった。

ありがとう

拙い文章しか書けませんが、読んで下さったあなたに気に入っていただけたら、とても嬉しいです。