どうしてすぐに泣くんだと首根っこ掴まれたわたしと、怒られた母の話
「ごめんなさい」「ごめんね」
ちいさな頃にからだに染み付いていた、わたしの口癖だ。
中学生になるとき、つーくん(同級生)に「お前、悪くないときは絶対あやまるなよ。約束な」て言われたのがいまも心に残る。
わたしには謝っても謝りきれなかった、自分が不甲斐なかった想い出がある。
小学1年生の時、わたしはとても気弱な女の子だった。そして、涙腺がナイアガラの滝かっていうくらいにゆるゆるだった(ふざけてなくて本気)。
辛いことがあると我慢しても我慢しても最後には涙がでる。わかっているのに涙が止められないのだ。
ある日、よく泣くわたしにイライラした担任の先生が、「どうしてすぐ泣くの!」と怒りわたしの首根っこ掴んで家まできた。
わたしを母の前に差し出し、この子はどうしてすぐ泣くんですか!と怒る先生。
母はわたしに奥にいくようにいったが、狭い社宅だ。声なんて嫌でも聞こえてくる。耳をぎゅーっと塞いでも。
「お母さんごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
その後の記憶は丸ごと消えている。どうしても想い出せない。
母に怒られたような気もしないし、ただご飯を食べたんだと思う。
でも、母も少しめんどくさい子だと思っていたのは、なんとなく感じていた。いや、母は優しい人だからわたしの思い違いかもしれないけど、当時はそう感じていたが正しいかもしれない。
いつしか、「お母さんごめんね」は会話の始まりの「あのね」の代わりになっていた。
わたしは母に好きになってもらいたくて、それが目標だったと思う。
通知表を5で埋めたくて頑張るのも、生徒会をするのも、キャプテンになるのも全部母に褒められたくて、好きになってもらいたくてだったと思う。
唯一、変えられない美しくない顔と母に似て美しい顔の弟を比べては、落ち込んでいた。
いつも顔が負い目だった。
そんなわたしが顔を人前で少しだけど出せるようになったのは、つーくんが、悪くない時にあやまるなって言ってくれて、へこへこするのを少しずつやめていってからだと思う。
元気になる!とか、癒される!とか、結局はキャラものとしてでも(ぐでたまにも似てると言われる)、笑顔が好きだと周りの人が言ってくれたから。
笑顔は笑顔を生む。
それは、きれいごとじゃなくて実体験から本当だよと言える。いま、辛くて下を向いている人がいたら一緒に話たい。ちょっとでも笑えたらそこからの幸せの連鎖は半端ないはずや。
誰にでも、コンプレックスはある。全部受け入れなくてもいいと思う。そんなに一人で強くならなくていいと思う。
でも、わたしと関わってくれた人たちにはそんなこと忘れてしもてたわ!て思えるくらい優しい環境はつくりたい。
母がわたしのせいで他人に怒られたことはずっと引っかかっているんだけど、それ以上に強くなれた気がするから、先生ありがとう。
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