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映画「はちどり」の中に、1994年を生きたわたしがいた

韓国映画の勢いが止まらない。多くの人がその社会性を真正面から描く韓国映画に憧れさえ描いているのではないだろうか?わたしは、その憧れを描く一人だ。

昨年、韓国映画業界では「パラサイト」が大きなムーブメントとなったが、同時期に公開した「はちどり」も多くの支持を得た。

主人公のウニを通してみる1994年の韓国...の一家庭の小さな世界。それは、わたしが過ごした14歳と同じだ。

ウニの痛みや孤独さが苦しいほど伝わる。

ウ二と自分を重ねて考える。わたしたちを取り巻く環境は変わったのだろうか?いや、成長したのだろうか?

わたしたちは社会構造の中でつくられた役割に隠されて「一人の人」として自由に生きれていないのではないだろうか?

決して、ジェンダー問題に関心が高いほうではなかった。小さな村の中は、女性の生き方が教科書のように決められていて、わたしも将来の夢は「お嫁さん」だった。でも、小さな頃から少しずつたまっていっていた。ジェンダーだけではなく、不条理な世の中への疑問が。

父は映画をよく見せてくれた。ユニークな人で、田舎では珍しい人だったと思う。環境問題や、多くのことを映画と歴史を通して教えてくれた。そして、いつも優しさとは何かを考える時間を持ってくれた。

ヒトを繋ぐものは優しさだと態度や対話で教えてくれた。

わたしは高校を卒業したら、お嫁さんになる未来とはほど遠い時間をすごした。そして、社会の中は想像以上にヒトを圧やルールで繋いでいることを知った。

仕事で上司の男性に意見をすれば「媚ることを覚えないと」と言われ、妊婦さんに「子供を産むならやめてほしい」という女性の先輩と喧嘩をし、宴会で飛び交う下ネタの交し方だけは一流になっていく。

自分たちの当たり前を押しつけ合う社会。20年以上たち「優しさでつながる」社会になったよ!とはまだまだ言いづらい。

まだまだこれからだ。もっともっとヒトとの優しいつながりをつくりたい。

ウニはウニだけど、あなたでもありわたしでもある。淡々とした映画の中から湧き出る社会へ投げかける力強い問いを感じてほしい。

「世界は不思議で美しい」

一人一人の生き方を認め合う世の中にしたい、そんなことを改めて考える時間をくれた映画だった。








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