芸術はなんて自由なんだろう。 これをしては芸術ではないと言える基準がない。 例えば紙やオブジェに色とりどりの液体をぶっかけて ランダムに飛び散った状態を脳内補完して 『覚醒』やら『戦争』やら『青春』やらのタイトルをつけたりする。 自分はこれが好きではない。 最後に黄色をぶっかけたのは何故? 青色だけ一番遠くまで飛び散っているのは何故? よろめきながらかけていて成功?ただかかっていれば良い? それらに説明が出来るのだろうか。 このバランスが芸術ですとか、どうも責任がないよ
友人が自らを受信人間だからと言った。 何かの誘いや、企てを進んでやるのではなく 指示があれば行動をとるという人間のこと。 連絡も自発信からは比較的しないタイプ。 『あなたのまわりは悲しいことに受信人間ばかり』 本人から言われると妙な説得力があった。 つまりこの受信人間が数人集まっても 彼らから何かしたいという強い要求は産まれないのだと。 小さなことだがSNSもあまりやらないと。 でもまわりの彼らに送信力は求めない。 自分のたまにしてる送信を目一杯受信してくれるからだ。 送
今朝起きてまずしたことは皿洗い。 本当は昨夜寝る前にしたかったけど 眠いを1度通り越すと朝方まで眠れないという 嫌な性質を持ち合わせてしまったのと 最近の疲労具合から 甘えてそのまま寝ることにした。 昨晩の料理はウインナーにスパゲッティを刺した ネットで話題になった気持ち悪いパスタ。 子供らは楽しそうに食べてくれた。 そのケチャップ汚れにまみれた食器やらが 朝からシンクを埋め尽くしていた。 これは大失態。 結婚してから夜の片付けはずっと自分の担当。 その日の汚物はその日に
最近Twitterにどっぷり浸かっている。 そこでTwitterを使用する理由を考えてみた。 交流のためか、自己発言欲を満たすためか、 情報を知るためか、番組告知のためか、 ただ好きに何でも吐露するだけか。 結局全部という答えだった。 Twitterは万能なんだ。知ってたけどあらためて。 でも万能型って面白くない。 面白くないのにどっぷり浸かってるから Twitterを使用する理由を考えてみたとかいう くだらない思考に至ったんだと思う。 変な文章だ、Twitter自体