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「今がいちばん、きたない体をしている」と母は言った。
実家で一人暮らしをしていた母が、入院した。
詳しい経緯はここでは省くが、重い心不全と首下がり症候群をだましだまし、どうにか動いていた母の体は、ついに限界を迎え、病院にいる。
心不全についてはコチラ👇
首下がり症候群についてはコチラ👇
家族としては、休んでほしい気持ちが山々だし、本人も見守りのある環境に安心してはいるものの、今までは無理やりタテに起こしていた体をずっと横にせざるを得ないので、
眩暈や幻視など、これまで出てこなかったような症状が出てきたし、
やりたいように生活していたのが、治療優先の生活になったために、体や髪をきれいにすることや、排泄の片付けなどが思うようにならなくて、もどかしい思いをしているようだ。
そんな母から出てきた言葉が、タイトルの一言だった。
一生懸命、人生を生き抜いてきて、そろそろ終わりに差し掛かった母から、こんな言葉を聞かされるのは、切ないものがある。
病棟サイドの事情もわかるだけに、なおさら。
ただ、私は、母の一言、今の姿、思うようにならない入院生活、その全てが、
母が私に施してくれている、最大の「学び」だと思う。
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「親から受ける最後の教育は『死』である」という言葉があるけれど、
母の体や頭の細胞は今、確実に生よりも死に向かって活動している。
それにともない、今まで形づくられていた「母」という人が、バラバラにほぐれていくような感じがある。
本人はその事に戸惑い、嫌悪し、「見せたくない」と強く思っているけれど、いずれもう少し意識が薄れてきたり、認知や記憶の力が落ちてくれば、次第に諦めへと変わるだろう。
エリザベス・キューブラー・ロスの「死の受容過程」によれば、死のような「喪失体験」全般には、以下のような段階を経るとされている。
①否認(と隔離)・・・死を運命として受け入れられず、事実(検査結果など)を疑い、孤立する
②怒り・・・「どうして自分が」と怒りを覚え、周囲にぶつける
③取引・・・死の恐怖から逃れようとして、何かにすがろうとする(宗教、補完代替治療、寄付など)
④抑うつ・・・死は避けられないことを悟り、喪失感(ロス)に絶望し、なにも手につかなくなる
⑤受容・・・死を避けられない運命として受け入れ、心に安らぎを得る
この法則に則れば、母の段階は②~④を行き来している、という状態なのだろうが、
個人的に、この法則が使えるのは、認知機能に問題がない人や、現状をある程度、明確にとらえられる人なんじゃないかと思う。
私の勝手な感覚では、ハンディキャップがあるとか、ないとかに関わらず、
その人の人生で、もっとも「その人らしさ」を保てているときが健康なときで
老化や何かしらの病、事故などのトラブルを経ていくと、人はだんだんと「バラバラになっていく」気がする。
例えば、目が見えていた人が見えなくなると、それは眼球やそこに繋がる視神経、脳での認知などの機能が「その人から外れて、二度と戻らない」状態になるわけで。
いたくなかった腰が痛くなったり、覚えられていたことが覚えられなくなったりしたとき、
それまでは「自分のモノ」として思うように動かしていた「腰」というパーツや、「記憶している」という手応えが
痛みによって自分から遠ざけられたり、手応えがなくなって電池切れのような状態になったりする。
そうしたバラバラが多くなればなるほど、だんだんと人は「死」を身近に感じ、ロスの言うような段階を行き来しながら、確実にその時へ向かっていくんじゃないだろうか。
などということを、母だけでなく、これまで出会ってきた高齢者の皆さんの姿に、思いました。
そんなアプローチも、あってもいいんじゃないかな💓