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先回り気遣いの呪い
「気遣いの人だね」
初めてそう言われたのは中学校の時だ
褒められたと感じていた、自分の長所だと思っていた
てっきり。
褒められたのは事実かもしれないが
トラップが隠れていることがある
気が遣える人なら やってくれるよね(チラッ
という意味が含まれていることが社会では多々にあるということだ
わーい!!
褒められたんだやりますやります 嫌なことも任せてください
という様に感じやすいのであれば要注意である
あなたのエネルギーは吸い取られるために存在しているのではないのだ
実際に中学校の時に気遣いの人だと賞賛してきたのは教師だったのだが
その1年間、私は窓ガラスを割るのがお前の趣味なのかと思う位
校内の窓と人を殴る男子生徒の世話をすることになった
さらにその後社会に出てフリーランスになった私には
気遣いを褒められる度に なぜか仕事が増えていく現象が起きた
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すごいですね ありがとうございます 出会えたことが運命だ
全部分かってくれる そして あなたにしかできない。
全部言われたら嫌な気はしない言葉だったが
あまりにも嫌な事案が自分に寄ってき過ぎて
さすがに自分の気遣いを褒められるのが嫌いになった
ここまで書いておいてなんだが、
人の気持ちを考えることは決して悪いことではない
人を傷つけることは自然と少なくなる
こう動くとどうなるんだろうという想像力は仕事に活きる
でも、それで仕事や人間関係の場を勝負しようとすると本当にリスクが多い
まず、自分が先回りしないと場が持たないような現場が多くなってくる
そんなのだれでも嫌なのだが 顔に気遣いできますよ~ と書かれているので
いくら嫌だと内心思っていても、後になってから愚痴を言いまくっても
離れてくれないのだ
後は気遣いできる=優しい 気が弱い というイメージがつきやすくなる為
自分を雑に扱われることが増えてくる
なぜ自分は相手を大事に思っているのに
自分は雑に扱われるんだと違和感を持たねばならない
あまりにもこういう事が増えてくると 怖いのだけど
自分の価値は低いのがデフォルトだと勘違いしてくる
このような考え方が幼少期や児童期に身に付くと
ほぼ自働的に思考が進むのでいきなり変わることは難しい
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そんな私も渦中にいる
自分は気を遣って先に回って困りごとを回避してあげる
やってあげよう やってあげよう
いつしか
やってあげなきゃ 私に価値はない
そうやって頭に浮かぶんだ
きっとそんなことないと信じたい
他の柱も育てていい
自分のできることは全部みせなくてもいい
そうやって自分に許可を出して進んでいきたい