書籍紹介『視覚障害教育の源流をたどる 京都盲啞院モノがたり』
『視覚障害教育の源流をたどる 京都盲啞院モノがたり(岸 博実)』という本の紹介です。
2018年、明治時代初期に開校した国内初の公立特別支援学校「京都盲啞院」の関係資料約3000点が、国の重要文化財に指定されました。資料には、近代日本の障害者教育で先駆的な役割を果たした教材や文書の数々が含まれます。京都府立盲学校に永らく勤務され、これら貴重な資料の調査研究に長年取り組んできた著者の岸先生が、その解説を通じて特別支援教育の源流や社会参加の原点を探っていくのがこの本です。
出版元の明石書店ホームページに掲載されているこの本の説明はこうです。
2018年、明治時代初期に開校した国内初の公立特別支援学校「京都盲啞(もうあ)院」の関係資料約3000点が、国の重要文化財に指定された。資料には、近代日本の障害者教育で先駆的な役割を果たした教材や文書の数々が含まれる。これら貴重な資料の調査研究に長年取り組んできた著者が、その解説を通じて特別支援教育の源流や社会参加の原点を探る。
(明石書店より)
この本では、明治の時代、まだ点字が日本で広く知られる前から視覚障害教育の現場で行われていた指導法や教材教具などが、豊富な写真資料とともに紹介されています。
岸先生とはご縁があり、個人的にお話できる機会がありました。また何度か講演会でその教材の紹介をお聴きしたこともあるのですが、より具体的なモノを知ると、今の特別支援教育やユニバーサルデザイン教育に通じるものが続々と出てきます。それらの資料や実践は「温故知新」という言葉を想起させます。
視覚障害教育の系統的な積み上げや情報のない中で繰り返された試行錯誤の数々があります。
例えば、視覚障がいのある子たちが、自分で文字(見える人が使う墨字と言われる文字)を書くための自書自感器や墨斗筆管は現在のサインガイドに、書いた文字を触って確認できる蠟盤文字はレーズライター(表面作図器)に、知足院の七十二例法は漢字を部首などの部品で覚えるミチムラ式にそれぞれ通じます。
厚紙の上に紙をのせ、鉄筆のようなもので筆記する道具です。自書自感して正誤を確かめられます。罫を張った枠をはめるようになっており、罫の粗密によって字の大きさが選べます。今日の「レーズライター」の原型とでもいうべきものです。
(説明と画像は京都府立盲学校より)
(サインガイドの画像は桜雲会より)
蝋盤文字は、熱で溶かした蝋が固まる前に、凹字をへらで彫らせたり、固まった凹字を触読させるものです。
いちど学習したあとも、熱で溶かせば再度使用できる蝋の性質を生かした教材です。
(説明と画像は京都府立盲学校より)
(レーズライターの画像は愛知県立名古屋盲学校より)
木刻凸字は捫字(もんじ)や活字ともよばれ、桂の材でつくられ、凸字と凹字を触読させるものです。
草行体の漢字部首のことを「七十二例法」とよび、古河は、盲児の漢字指導には真体は不適当だと考えました。
(説明と画像は京都府立盲学校より)
(画像はミチムラ式漢字学習法より)
現在に生きる僕らは、その過去から脈々と受け継がれてきた取り組みを温め、改良し、行っているんだ、そう思うと身の引き締まる思いがします。
そして、そんな取り組みの積み重ねの裏には視覚障害教育への熱意があるのです。「見えない子がどうやれば、できるようになるのか」、そのことを突き詰めていった結果なのでしょう。
この本の話ではないのですが、視覚障がい教育の専門性について考えているときに、昭和35年に発行された、『盲学校教師に必要な適性についての一考察(佐藤親雄)』と言う本を岸先生から紹介いただきました。その内容を確認すると機器の発展など以外は、現在と変わらぬ内容であり、「盲児の綜合教育計画の展開において、他の特殊学校教師や普通学校の教職員と共同できる能力」など現在のインクルーシブ教育システムや特別支援教育に通じるものがあり驚かされました。
視覚障がい教育に携わる僕らは、その熱意を脈々と受け継いでいるし、それのバトンを次へと引き継いでいかないといけない。視覚障がい教育の源流をたどることで、そのことを強く意識するようになりました。
もう一つ、改めて考えさせられたのが「視覚障害教育の主体は誰なのか」ということです。
様々な試行錯誤の中で、選択、改良されてきたモノは、見えない・見えにくい当事者にとって、わかりやすく、使いやすく、学びやすいモノです。
ルイ・ブライユによる点字の発明(改良)も、日本における点字の採用や日本式点字の制定も、視覚障がい教育で教える立場にあった見える人の関わりだけでなく、それらを実際に使う立場の見えない・見えにくい当事者の選択があり、今に至ります。
視覚障害教育の系統化や専門性の体系化などが進んでも、その知識のみを優先するのではなく、今目の前にいる見えない・見えにくい子にとって何がいいのかを考えないといけないな、そう再確認させられました。
教員という立場の僕は、アドバイザーやブレーンにはなれても、その子そのものにはなれません。その子の人生でいろんなことを悩んで選んで決めてやって、その結果をかぶるのはその子しかいないのですから。
少し個人的な話になってしまいましたが、視覚障がい教育における先人の試行錯誤の積み重ねの源流をたどることのできるのがこの本です。
また筆者の岸先生は「京都盲唖院・盲学校・視覚障害・点字の歴史」というブログを書かれています。そのブログにも様々な視覚障害教育の歴史についての話題が紹介されていますので、覗いてみてはどうでしょうか。
表紙の画像は明石書店ホームページより引用しました。