盲学校からの発信「視覚障がい体験をそれで終わらないこと」
総合的な学習の時間などで障がい理解のために、アイマスク体験や弱視体験をすることってありますよね。
でも、体験して終わりではなくて、そこから何を得るのか、どういった視点から世界を見直すのかが個人的にとても大切だと思っています。
今回は主に学校の先生向けに、そんな視覚障がい体験について語りたいと思います。
視覚障がいの世界を体験するツール
直接シミュレーションレンズを身につけるだけでなく、スマホやタブレット、パソコンの画面で体験することもできます。
こちらの記事で見えにくい世界を体験するツールを紹介しています。
いきなり全盲体験をするのはハードルが高いのであまりおすすめはしないのですが、その場合はアイマスクを使用します。直接眼の周りに触れるアイマスクを共有するのは衛生的にアレなので、タオルやティッシュを間に挟むことをおすすめします。
(画像は西東京市立ひばりが丘中学校より)
こんな体験あり〼
盲学校で新転任の先生方を対象にしていた弱視のシミュレーションレンズ体験をまとめた記事はこちらです。
全く見えない全盲や視力的な見えにくさは、目をつむったり、暗闇の経験、あるいはメガネやコンタクトの経験からイメージしやすいと思います。
弱視といってもその見え方はさまざまです。
特に視野障がいはなかなかイメージしにくいのではないでしょうか。視野が狭く見えているのに文章を読むのに時間がかかったり、視野外から人が出てくると驚く、視野からボールがなくなると見失うなどの体験は個人的に視野障がいをイメージできるのではと思います。
いきなり全盲体験はハードルが高いのであまりおすすめはしないのですが…もしされるのであれば、歩行や手引きによる移動ではなく、座った状態で触ったり作業したりする体験の方が良いと思います。眼から情報を得ている僕たちがいきなり見えない体験をすると、どうしていいかわからず恐怖を抱くのは当たり前だからです。安全面の問題もあります。
(画像は三方原小学校より)
もしどうしても歩行体験をというのであれば、日本点字図書館の「いっしょに歩こう~目の不自由な人と楽しく町を歩くために~」を参考にし、手引き歩行から始めてください。
ネットでアイマスク体験について検索しましたが、適切な手引き歩行をしていない例が沢山ありました。とても危険です。まず指導される方が手引き歩行を知った上で行うことが大切です。
(画像は福岡市立筑紫丘小学校より)
「見えない=何もできない」ではない
以前働いていた盲学校で、近隣中学校との交流の中でアイマスク体験をした生徒の「見えないことって大変だなと思いました」「視覚障がいのみなさんがすいすい動けてすごいと思いました」なんて感想を聞いたことがあります。
確かに僕自身も盲学校に転勤したときにアイマスク体験で怖さを感じましたし、始業式の日には廊下をすいすい歩く(なかには走って注意される)子どもたちをみてとっても驚きました。
でも今はその感覚だけで全てを判断するのは危ういと思っています(それがいきなりの全盲体験をおすすめしない理由でもあります)。
考えてみれば、それまで視覚に頼ってきた僕たちがいきなりアイマスクで視覚を制限されると恐いと感じるのは当たり前です。今まで自覚せずに踏み出せていた一歩が、なかなか踏み出せなくなるんです。
でも生まれつき見えない・見えにくい子たちは、その見え方が当たり前で、大抵の子はそんな恐怖心とは無縁です。もちろん経験して覚えている場所なら頭の中に地図があってすいすい移動できます(逆に座頭市みたいな?スーパー全盲の方でも初めての場所は苦手です)。それは見えている人からすると曲芸かもしれませんが、本人たちからすれば当たり前の日常です。
そのギャップを確認しておかないと、自分の恐怖心の経験から「見えないのは怖いこと=なにもできない=大変だ=周りが全部手伝ってあげないと」や「見えないと自分は何もできなかった→あの全盲の子はすいすい動けていた→視覚障がいの人はみんな座頭市みたいな達人だ」なんて一般化して誤った理解をしてしまうかもしれません。
指先で点字を読む、白杖を使って自宅から学校まで通う、視覚障がいスポーツをする、料理する、スマホを操作する、指先でツボ(経穴)を確認して針をうつ、そんなスーパーマンのようにも思える視覚障がいの方の行動には、それができるまでの経験や練習だけでなく、見えない・見えにくい分、見やすくしたり、触ったり、聴いたりして理解する工夫が沢山あります。
個人的にはそんな視覚障がいの方の日常での工夫を知ったり気づいたりするような体験がいいんじゃないかなぁと思います。
参考までに視覚障がいの方のいろんな工夫をまとめた記事を貼っておきます。
できれば、盲学校や視覚障がい者施設を体験したり、視覚障がい当事者の方から話を聞いたりして子どもたちが視覚障がいの方が生活していく上での工夫に気づいていくのがいいんでしょうね。
今なら視覚障がいの方がYouTubeやTwitterで積極的に情報発信されていますし、それらも参考になるのではないでしょうか。
社会で共に生きていく間柄として
「見えない=全くできない」「視覚障がい=かわいそうで手伝ってあげないといけない存在」ではないということは伝わったでしょうか。
そこから子どもたちに何を知って、どんなことを考えてもらうのがいいのでしょうか?
僕自身が盲学校で弱視体験研修の講師をしていたときや介護等体験の学生さんへの講義をしていたときに、伝えていたことがあります。
「これからの社会は障がいのある人が当たり前にいる世の中で、町中ですれ違うだけでなく、同級生でも、同僚でも、顧客でも出会うのが当たり前です。そんなとき、みなさんはどうしますか?
全盲体験や弱視体験をして怖いという気持ちを感じたかもしれませんが、子どもたちを見ればわかるように、みんなすいすい廊下を歩いています。今日したのはあくまでも普段見えているみなさんが、見えない・見えにくい状態になったときを体験したものです。うちの子どもたちは、そんな見えない・見えにくい状態が当たり前で過ごしているので、みなさんとは違う感覚なんです。
今回感じた怖いや不自由だという感覚は大切にしてください。でもそれは一旦忘れてください。みなさんが関わる子どもたちにとってそれは日常です。
でも子どもたちは何もなくいろんなことができるようになった訳ではありません。
例えばウチの学校では廊下や階段には全て手すりがついていますし、右側通行と決められています。床や廊下には物を置きません。こうした環境があるから、そして音や触覚でいろんな情報を得ているから、いろんな情報と頭の中につくった地図を照らし合わせる練習をしてきたから、子どもたちは自由に歩き回ることができるんです。
それ以外にも、よく見えるように、耳で聞いてわかるように、手で触ってわかるように、いろんな工夫が盲学校にはあります。
見えない・見えにくい子どもたちは、かわいそうな存在で周りが全て手助けしてあげないといけない存在ではありません。
子どもたちができるためには、いろんな工夫や自分でやっていく経験が必要です。手を出したいのを我慢して見守る場面もあります。
もちろん、なんの配慮や工夫もなく叱咤激励するだけでは無理です。日々を過ごすうちに見えない大変さを僕たちは忘れてしまうことがあります。そんなときは今日の体験を思い出してください。
子どもたちができるようになるための工夫が必要です。どうかそんな工夫を見つけて実践していってください。」
こんな感じの内容です。そんなに上手くまとめて話せてはなかったですが笑。
これは大学生や教員向けの内容です。
小中学生向けなら、例えば「文字を大きくしたら(視野狭窄の場合は小さくしたら)文字が見やすくなった」、「黒いまな板やしゃもじを使ったら見やすくなった」、「周りからの言葉かけがあったら安心する」、「こうやってじゃなくて、具体的に言ってもらえたらわかった」などのように、どうしたらわかるようになったのかを経験するのもいいかもしれません。
あとは「相手にどうしたらいいか聞くこと」も大事です。視覚障がいは100人いれば100通りの見え方があるとよく言われます。ある視覚障がいの方が必要としていることが、イコール全ての視覚障がいの方が必要としていることとは限りませんから。
また視覚障がいがあっても、当たり前のように自分たちと同じなんだと感じるような当事者との触れ合いや交流及び共同学習みたいなのがあればいいですよね。
いずれにせよ、この社会の中で共に生きていく間柄として、子どもたちに何を知ってどう考えて欲しいのかを企画・指導する側がしっかり持っておかないといけないのでしょう。
まとめ
書き始めると思ったよりも長くなってしまいました。世の中のアイマスク体験を調べていくうちに悶々としてしまい、上手くまとめられませんでしたが、伝えたいことを綴らせてもらいました。
日々の学習でもそうですが、学んだり体験したりするだけではそれでおしまいです。視覚障がいは、アフリカの飢饉に襲われている子どもと一緒で、自分とは遠か離れた世界の話になって終わりです。そうではなく、自分の生きる社会の話で、なにができるのかを考えてもらうためには、自分ごとにするためには気づきや発見が必要なのだと思います。
視覚障がい教育に関わった身として、なんとかそのことを伝えたいと思い、書いてみました。
いろんな学校で取り組みをされている先生方にとって少しでも有意義なものをお伝えできたのなら幸いです。
参考にしたサイト
②「視覚障害を理解するための疑似体験セミナー(中野泰志(慶應義塾大学))」
表紙の画像は交通バリアフリーから共生社会を考えよう!より引用しました。