時間にとらわれることなく生きていたい
日が昇ると人は起き、活動を始める。日が沈むと皆揃って明かりを消し眠りにつく。最近はこの時間という概念にしばしば疑問を抱くことが多い。
人間は当たり前のように朝起きて夜寝る。これは、原子の時代、まだ文明が無かった頃に起きた自然の摂理だろうと考える。しかしながら、人間は時代の変化にともなって、それ相応の変化をしてきた。
初めに出来たのは文明である。火を起こし、明かりを手に入れ、食べ物を料理するようになる。人間同士のコミュニケーション方法として、合図を出し合うようになる。合図でのコミュニケーションをとるようになると、色々なもので形や文字を作り、残そうとするようになる。
野ざらしの中で、動物たちと生きていた人間は、雨風を凌ぐため、家を建てる。ここで、ようやく人間らしい生活。というのを手に入れ始める。
石を使って刃物を作り、木を切り肉を断ち、火を使って料理をするようになる。
そして、作った食料を貯蔵するためにツボ等の陶器を作る。
こうして段々と人間の生活を確立してきた原始人達の知能の発達は著しいものであり、それが日の出に活動を初め、日が落ちた頃に寝るという規則のある生活に起因するものであるならば、それに習って生活することが今後の発展に繋がると言うのであれば太陽に左右された時間という概念は正しいのであろう。
しかしながら、人間はいつの日か電気を自在に操り始める。電気は人間の発達に大きく貢献してきた。電気の出現により、夜でも明るく、火よりも危険の少ない状況で、今まで日のある内に行ってきた物が夜でもできるようになった。
そんな生活を手に入れたにも関わらず、人間は未だ、日中の暑い中生活をしたがっている。
私は不思議でしょうがない。
今まで日の出ている時間にしか活動出来なかった人間が、電気という文明を手に入れ、夜でも活動することが可能になった時点で、原始人の行動ルーティンは破綻しているはずだ。
夜行動できるなら夜行動するという人間が出てきてもおかしくない。日の出てる間は苦しいから、日の沈んだタイミングで行動する。大変合理的な生活ルーティンを送る人間が居てもおかしくないはず。
現代に生きる人間は、当たり前のように朝起きて夜寝るという行動を疑うことなく生活している。
一体どうしてなのか。
周りがそうしているから、社会はそういう風に出来上がっているから、ならば人間1人の価値とは材料同然ではないか。
人間が人間として生きるためには、誰が作ったのかもわからないルールに従い、不平不満を言わず、間違いを指摘すれば異端とされる世の中に従わなければならないのか。
それが太陽、ひいてはその軌道を回る地球に起因するものであるならば私は・・・
太陽も地球も無くなってしまえばいいと。そう強く心に願うのである。