日本の公立学校の原点③

③学校の最大の目的

この頃のアメリカの主張都市は爆発的な人口増加に伴う、急速な「都市化」にも悩まされていた。

つまり、人口の増加が都市に集中してしまっていたのだ。

19世紀の中ごろから終わりにかけて、アメリカ全体の人口は約2倍になっているのだが、シカゴやセントルイスなどの主要都市はその人口が約5倍にまで膨れ上がっている。

人口が増えれば、都市の構造も変わってくる。

先ほどの学校の話もそうであるが、人口が増えても、たとえば土地は増えないわけで、限られたモノの中で都市はそれらの人々をまかなっていかなくてはならないのである。

そこで求められるのが「規律」であるとハリスは述べている。

そして、その「規律」を市民に育成するのが学校であるというのだ。

ハリスは学校における価値を単なる読み書き算の教授では無いことを同意した上で、以下のように述べている。

アメリカの公立学校は知識をすばやく習得することよりも、規律をより強調することが常であるという注目すべき事実がある。

つまり、ハリスは学校の主な目的は近代都市に生活する人々に対して、都市の規律を教え込むことであり、田舎の教育と都市の教育を区別したのはまさにこの規律の強調にあると見ていたことがわかる。

また、都市の学校の規律を形成するモノとして、ハリスは以下の7つのものを挙げている。

①時間厳守、②規則正しさ、③忍耐、④熱誠、⑤公平、⑥真実、⑦勤勉、がそれである

この中で時間厳守が特に重視されているのだが、その理由はハリスの生きた時代背景にあるとされている。

彼の生きた時代は鉄道が急速に発達した時代であり、鉄道とは時間通りに運行することが求められている。

また、鉄道に乗る人々にもそれは求められることであり、さらには、時間厳守や規則正しさは、鉄道だけでなく、この時代の都市社会や産業社会に必須のものであるとも言えよう。

そういう時代背景からも、学校という場には以上の7つのモノが求められていたのである。

1871年、ハリスがセントルイス市の教育長であった時、彼は学校を標準化する動向の背後にある前提について簡潔に述べている。彼によれば、学校にまず第一に求められるのは秩序である。各生徒は、彼の行動を一般的な社会の基準に一致させることを最も優先して教えなければならなかった。ハリスは当時、進行しつつあった産業社会では「汽車の時間への一致、製造工業における仕事の出発に合わせること」および「都市のその他の特徴的な活動に合わせることは絶対的な正確さと規則正しさを要求する」と指摘した。その必然的結果は、学校が官僚的な時間厳守と正確さのモデルとなるべきことであった。「生徒は指定された時間に授業を受ける用意をし、ベルの音で立ち上がり、列の方向に動き、帰って来なければならなかった」のであり、すべて定められたとおりに正確に物事を行うことを求められた。

このように、当時の学校で最も大事にされていることは、近代化する都市社会で生きていくための「規律」を学ぶことである。

それは、はじめに述べた「田舎の学校」では学ぶことのできないことであり、ハリスが良しとした「都市の学校」の特徴なのである。

ここまで、①、②、③に分けて、ハリスがセントルイス市で教育長として行ってきた業績を簡単ではあるがまとめてみた。

ここから見えたことは、次の2つの特徴である

・「数の圧力」から「効率化」に迫られたこと

・「都市化」する社会に対して「規律」を持つ市民を教育すること

そして、これらが現在の日本の教育にも繋がっているという点に注目したい。

つまり、現在の日本の教育の根底には先ほどまで述べたような考えが流れていて、そして、それらの考えの中には「効率化」に迫られたにせよ、学校という場を「工場」と呼んでしまうような感覚が流れている部分も否定できないのではないかと、そのように考えてしまう。


引用文献

青木薫、『ウィリアムT・ハリスの教育経営に関する研究』、風間書房、1990