「will」と「be going to」の使い分け
私は「will」と「be going to」を次のように使い分けています。
未来に起こり得ることや状態に対して:
自分の意識が全く過去と現在に向かわず、未来にだけ向いている時、「will」を使います。
そして、
自分の意識が(少しでも)過去や現在に向いている時、「be going to」を使います。
例えをあげますね。
「明日部屋を掃除する」ことを伝える時:
意識が過去と現在に向かわず、未来に起こる出来事(掃除する)をただ単に伝えることに意識が集中している場合、
I will clean my room tomorrow.
(明日掃除をする。)
と言います。
一方、
「前から掃除しようと思ってたし、今も部屋が汚いから、掃除する」と過去と現在へ意識が向かっていて、その上で「掃除する」と言う場合、
I am going to clean my room tomorrow.
(明日掃除をします。)
と言います。
例文2:
「恋人と別れたけど自分は大丈夫だ」と伝える時:
「いろいろあったけど、もうそんなのはどうでもいい。過去は見ない。過去は存在しない。今もない。前だけを向く。未来だけがある。」という意識をもっている場合、
I will be OK.
(俺は大丈夫だ。)
と言います。
一方、
「なんか今でも恋人のこと、考えちゃう。でも、きっと大丈夫だよね。」と意識がまだ過去や現在へ向いている場合は、
I am going to be OK.
(俺は大丈夫。)
と言います。
例文3:
「明日雨が降る」ことを伝える時:
昨日とか今日の天気のことは、自分の意識の中には全くなく、ただ単に明日雨が降ることを伝える場合、つまり未来にだけ意識が向いている場合、
It will rain tomorrow.
(明日雨が降るだろう。)
と言います。
一方、
「おとといも昨日も雨だったよね。今日は曇ってるけど、明日は雨がふりそうだね。」などと過去や現在にも意識が向いている場合、
It is going to rain tomorrow.
(明日も雨が降るだろう。)
と言います。
「be going to」は「予定を表す時に使う」とよく言われます。
でも、「予定」と聞くと、日本語話者の耳にはガッチガチに固まった行動のように聞こえ、それが結果として「be going to」にも気軽に使えない雰囲気を与えてしまっているように思います。
日本語話者が「will」を多用してしまうのは「予定」という言葉に引っ張られすぎて、「be going to」は気軽に使えないと無意識に感じてしまっているからなのかもしれません。
だから私は自分の意識が少しでも過去や現在に向いた場合は「be going to」を使うようにしています。
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