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通信制大学に編入した時のコト
皆様 こんにちは。
メガネです。
今日は数年前に仕事をしながら通信大学に編入した事を記そうと思います。
私の学生時代は就職氷河期がスタートする頃でしたが、まだ就職活動も活発でした。地域にもよりますが、あの頃は女子は短大卒でOK、Word、Excelが使え、英検2級があればば尚就職が可能という時代でした。
なぜ、通信制大学に編入したのか
社会人になって大学に編入する理由は、学歴コンプレックスがあったからです。言い切れます笑。ちょくちょく
「これ大卒じゃなきゃダメなんだ」
と思う場面に出くわしました。
大卒が好ましいと思ったコト
幾つか当時の例を挙げます。あくまでも私個人の経験に纏わる事ですし、時代も変わっておりますので、悪しからず。
- 留学先で就職したくても大卒でなければビザが貰えない。
- 転職しようと思っても、応募条件に大卒が多い。
- 就職直後、親御さん達からどこの大学を出たか聞かれる事が多かった。
- もっと勉強したいと思っても大学院には行けない。
ざっくりとこうなります。お気づきかもしれませんが、人生の節目節目で学歴トークがちょくちょく現れてはネックになり黙り込む始末に。
それもそのはず。語学、教育関係は講師は大卒が当たり前だと思われるからまあ、大変です。1つ目の会社では新卒だったので散々な思いをしました。初めて教えた子供クラスの一人にこう言われました(笑)。
「何歳か年齢を聞いてこいと親に言われた。」
この言葉は講師歴20年以上経った今でも記憶に残っています。今は流石に見た目で年齢は聞かれませんが、当時は18歳とジョークをかまして学歴を隠そうとしました。
ところがそれが、裏目に出てしまった。
クレームに繋がり、(-_-;)親御さんから未成年を働かせてるのかと会社にお叱りの電話が来たようで、謝罪の電話を数名の家に掛けた記憶があります。この時点で学歴コンプレックスが芽生え育っていきました笑。
1つ目の会社では、社風が良くも悪くも厳しかったのと、自分の英語力も足りず英会話を教えられなかった。よって留学に行こうと決めました。留学先のカナダで、特にバンクーバーが大好きになり日本に帰りたくなくなりました。そこでは専門学校に行って英語講師の資格をとったのですが、何屋さんでもいいからバンクーバーで働きたいと思ったのです。
当時は若さ溢れていましたので、私の考え=感情です。労働ビザは大卒しかもらえないと気づきます。ワーホリは年齢制限があるのし、ずっと国には滞在できないですものね。
いつか大学にお金をためていってやる!
そんな気持ちがふわ~っと芽生えていたのですが、仕事を辞めて大学院を目指したり、留学をするために会社を辞める人が周りに多くて、会社を辞めて大学に挑戦するというイメージがありませんでした。
大学院に行くにはどういう条件かしら?と調べると大学卒業が応募条件で、なんなら自分の大学専攻の学びをさらに深める大学院が日本、海外も特に多かったのです。
短大は英語科でした。英文科というよりも。。。英語科だったのです。シェークスピアもわからず、教員免許もとったわけでも、英検の級がトップレベルでもなかったのです。身動き取れないという。
選択肢は全部が莫大なお金がかかる~
大学にいくには留学もあるなと思いカナダ、アメリカの大学を探して値段を調べたところ、生活費、授業料を合計すると、1000万超える。いやいや、いやいや。
大学卒業資格を欲しいけども厳しい現実でした。予算を下げるためにどうしたらいいかとも現実的に考えたのです。そこにたどり着くまでに時間も、専門学校留学もしてお金をかけた自分がいました。焦らず時間をかけて英語力も磨くべしと思いながら20代、30代と仕事に明け暮れました。
30代最後の年に焦りが出た
20代半ばに考えていたことが非現実なのか?と考えてたら30代を迎えました。一番仕事が忙しい時期でした。苦しかったです。親を亡くしたり、自分も病気になったり、仕事の環境がブラックだったり。。。いやいやいや。書ききれません。学業というものは頭のすみから消えていきました。
気が付いたら39歳。。。ってこれやばいでしょう。と勝手に焦ったのです。何も残せていない気がしました。講師としても、会社員としても。途中からパートになったので人生を自ら苦しく持って行ったのかもしれませんが。(笑)挑戦し続けたいなと。
39歳か。。。思い切って大学生になってみようかなと考えていた美術の通信制大学に後期編入学をしました。3,4月はさすがにバタバタして入学手続きに力を入れられず、秋に入学しました。
最短卒業にこだわった通信制大学
パートで稼ぎも変わってきますので(笑)、授業料をバンバン出せる余裕はありません。だからこそ最短で卒業したかった。
そこにとにかくこだわり、美術を学ぶ大学を選びました。そこには歴史背景が必ずあります。芸術、美術として生まれていく過程には歴史上の出来事が大きくかかわり作品が出来上がります。例えば茶器。お茶碗一つで殿様は自身の強さを表したり、城を買ったりしてきたわけです。そんな話も面白くはまっていきました。当時は卒業と同時に全国通訳案内士も合格したかったので文化背景も真剣に勉強していきました。
三足の草鞋を履く
JD(女子大生)生活はあっちゅうまに終わりました。必死でした。やりがいがありました。なぜそこまで言い切るかというと、3足の草鞋を履きました。
1,英語講師
2,女子大生
3,通訳案内士(ガイド)として働いてきたからです。
きつかった~( ´∀` )本気できつかった。仕事の予習復習、大学のレポート、全国通訳案内士の試験とガイドの仕事!とにかく頑張りました。
しっかりと、最短2年で卒業しましたよ。
なにか質問があれば(ゆっくり返事させてもらいますが、)なんなりと。
では。めがねでした。