ボヘミア王国英雄伝説【アレシュ編・序章第四話】

ルサールカ


太郎はリーズンブルク城の中庭跡地に立っていた。



当時のままの壁と、古井戸が太郎の視界に入る。
それはアレシュが子供の頃、世話役の侍女たちから「危ないから近づいてはなりません」と言われていた井戸であった。
アレシュ・リーズンブルクは、3歳頃までこの城に住んでいた。

当時のアレシュは背も低く、地面から突き出た井戸の壁を下から見上げるしかできなかった。
いつかこの井戸を見下ろすぐらいに背が伸びるかな、などと考えていたが、それから間もなく、アレシュはリーズンブルク城を離れる事となる。

家庭の事情があったのか、アレシュは3歳の頃にこの城を離れ、親戚の家の養子に出されたのだ。
その親戚家はブジェシュショフという町を本拠地としており、領主はアレシュの叔父にあたる。
叔父もまた「アレシュ」という名前で、それどころかブジェシュショフ家の男はみな「アレシュ」という、とてもややこしい名前の一家であった。

叔父の妻はアンナと言い、アレシュを養子に貰う時点で既に数人の娘を産み育てていた。レジーナもアンナの娘の一人である。
アンナ夫妻にはどうしても男子が生まれなかったので、親戚宅から男児をもらい養子にしよう、ということでアレシュをブジェシュショフ家に迎えたのだった。


新しい母親になかなか甘えることのできなかったアレシュであったが、姉たちには心を開き、甘えたり一緒に遊んだりすることができた。

特にレジーナとアレシュは歳が近く、すぐに仲良くなった。

幼い頃のアレシュは女の子のような顔立ちをしていたので、姉たちは自分のドレスをアレシュに着せたり、リボンでアレシュの髪を飾ったりして楽しんだ。アレシュは一種の着せ替え人形として遊ばれていた、とも言える。


そんな生活にも慣れ、アレシュはブジェシュショフ家の人間として成長していくこととなる。



話はもどり、リーズンブルク城の中庭の井戸。


古井戸には雨除けの屋根がかけられていて、それは日本の「東屋(あずまや)」にそっくりな外観をしていた。

井戸は砂利で埋め立てられていたが、水桶を巻き上げるための装置は現存している。
太郎はそれらに触れ、3歳の頃のアレシュはどんなだったのかな、などと思いを馳せていた。

ふと、頭上で物音がして、太郎は上を見上げた。

二羽のツバメが、並んで太郎の上空を飛んで行くのを見た。

『あずまやを探して下さい。そこに私達(両親)の霊がいる証拠として、二羽の鳥を飛ばします。』


という占い師の預言を思い出す。

あっ!あずまやって、この井戸のことか!

占い師の言ったことが実現したのだと、太郎は身震いがした。

「マグダレナさん!ここに、両親の霊がいるみたいです!いま、鳥が二羽飛んで行くのを見ました!」

太郎は興奮気味に、通訳ガイドのマグダレナさんに報告する。

「すごいですね。本当に、こんなことがあるんですね。
では、せっかくなのでここで写真を撮りましょうか?」

マグダレナさんの提案で、太郎は写真を撮ってもらうことにした。

後日談ではあるが、このときの写真には青年の姿のアレシュが写り込んでいたようである。

それは600年の時を超え、姉が弟の写真を撮るという構図であった。
姉は600年後の未来の文明の利器を使いこなし、弟はカメラの前でポーズを決めるという文化を理解している。

「アレシュ、かっこつけすぎw」
「ふっふっふ。写真というのは、かっこつけてナンボのものなのですよ、姉さん。」

太郎とマグダレナさんの背後では、そんなアレシュとレジーナの会話があったかもしれない。


撮影のあと、太郎は前日に買っておいた薔薇の花束を中庭に供え、両親の霊に手を合わせた。
ボヘミアの霊に対し、どんな供養の方法があるのかを太郎は調べて来ていた。

そして、「ルサールカ」という妖精にまつわるエピソードにたどりつく。

ボヘミア地方には、古くから伝わる「ルサールカ」という妖精がいる。
それは水辺に棲む美しい女性の姿の妖精で、若くして亡くなった人の霊がルサールカになるという。

その伝説の元となったのは、古代スラブ民族(ボヘミア地方の先住民)に伝わる「薔薇の祭祀」だという説がある。
それによると、死者の魂は川の流れに乗って冥界へ旅立つと信じられていた。
その死者の魂を弔うために、人々は薔薇の花びらを川に流したのだという。
ルサールカの「ルサ」は、薔薇をあらわす古代語「ローサ」が転訛したものだそうだ。

長い年月の間に薔薇の祭祀は風化して行き、やがて薔薇の美しいイメージと水辺というシンボルのみが残り、ルサールカという妖精へと変遷して行ったのだろう。


「父さん、母さん。会えて良かったです。もうすぐここを発ちますが、これからもどうか、僕を見守っていてください。」


太郎はそう言って、供えた薔薇の花束に水筒から水を注ぎ、自己流の「薔薇の祭祀」を終えた。


「太郎さん、もう少しここを散歩しますか?」

マグダレナさんが訊いてくるが、太郎は「これ以上いると名残惜しくなるだけだから、もう帰りましょう」と言った。


かくして、研究太郎は30数年前の「フラグ」を回収し、アレシュ・リーズンブルクは600年ぶりの帰郷と、家族との再会を果たしたのである。


太郎とマグダレナさんの旅はまだまだ続く。
だが、旅の一番の目的はこれにて達成したのだった。


両親の霊は太郎の守護霊となり、いつも側にいるという。
もちろん、アレシュも太郎と一心同体である。
しかし霊が直接人間に干渉したり会話をするには、特別な場所の霊力を借りる必要がある。

今回のリーズンブルク城址がまさにそれで、太郎がこの地を訪れたことは、アレシュに関わる全ての霊にとって「人生が変わる」ほどの大事件なのであった。

まさかまさか、死後600年を経て、生前と同じように家族と触れ合ったり、友人とふざけたりできるなんて、誰も思ってもみなかったことだろう。


リーズンブルク城址を去るアレシュ。
彼の胸には、ある決意が湧き上がっていた。

それは、「生前の記憶と向き合うこと」。


幼き日の、姉との思い出。
青年時代のロマンスの思い出。

そして、その平和が崩された、戦乱の記憶。

死後600年を経て、日本人の研究太郎として生まれたことの意味。


それらと向き合うことにどんな意味があるのか、アレシュにもまだ分からない。

だが、太郎とならば意味を見出せる気がする。

「太郎やい。日本に帰ったら、やる事が増えるぞ。私も最大限の協力をするから、一緒に頑張ろう!」


そんなアレシュの声があるとは知らず、太郎は
「マグダレナさんは美人だなぁ」

と、鼻の下を伸ばしながら、旅の続きを楽しんでいるのであった。


第四話 了


参考:ルサールカWikipedia

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