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「分かってほしい」と「分かられてたまるか」の狭間で

想像してみてほしい。
君の内側で「分かってほしい」と「分かられてたまるか」が、ぶつかり合っている。
この矛盾する気持ちが君のなかで、激しく衝突し、その狭間で揺れ動き、自分の心が引き裂かれていく。

言い換えれば、葛藤と言うのかな。
◯◯したいけれど、◯◯したくない。
分かってほしいけれど、分かられたくない。

こんな状態になったことがあるだろうか?
とてもじゃないけれど、ふつうではいられなくて。
はやく楽になりたいと思うかもしれない。

ただ、僕はこの状態になにか意味があるんじゃないかなと思えた。
なぜなら、こんなことが自分の身に起こるなんて、今の今までなかったから。


   *   *   *   *   *

cotreeのオンラインカウンセリングを続けていくなかで、一時期話すことができなくなったときがあった。
「話すカウンセリング」を月に2回くらいの頻度で続けてて、3〜4ヶ月くらい経ったあたり。

最初はカウンセラーさんに分かってもらえて気持ちが楽になっていった。
ところが、しばらくすると、話すのが難しくなっていく。
そのときの心境を表せば

分かられてたまるか!
この苦しみを、つらさを、理解なんてできっこない!

セッション45分のなかで、沈黙が何度も訪れた。
時間も労力もお金も費やして僕はなにをやってるんだろう?
話さないのに話すカウンセリングっておまえはバカか?
って、思ってた 笑。

それでも、カウンセリングを継続した。
cotreeでは「書くカウンセリング」だってあるのに、「話すカウンセリング」を選んだのはどうしてだったのか。
話したいのに話せない。
「分かってほしい」と「分かられてたまるか」がぶつかり合っている。

葛藤しているその状態になにか意味があると思ったから。
会話というリアルタイムの中で自分になにが起きているのかを知りたかったし、受け止めてくれるカウンセラーさんがいたから可能だったなと今になって気づく。

   *   *   *   *   *


「分かられてたまるか」という反応が出てくる理由。
それは、もし自分のことを分かってもらえてしまうと、もう誰のせいにもできなくなることへの恐怖なんだと思う。

自分がこんなにも苦しい・つらい・不幸なのは、自分で選んだわけじゃない!親のせい、学校のせい、会社のせい、世の中のせい、、、生まれた境遇が、育った環境が悪かった。だから、自分のせいじゃない!

口癖のように僕は思ってたし、言ってた。

でもそれを、カウンセラーさんにちゃんと聞いてもらって、充分に分かってもらえちゃうとね、次第に「誰かのせい」じゃないな、自分へのごまかし・言い逃れだな、ってことに感づき始めてしまうのだ。
誰かのせいにできない=困ったときの奥の手がもう使えなくなってしまう!
ヤバイよ、ヤバイよ!!
それが「分かられてたまるか」という反応の正体なんだと思う。

「分かってほしい」と「分かられてたまるか」の葛藤が伝えたいこと。
それは、誰かのせいにして恨んで生きていくか、それともこれまでを自分で受け入れて生きていくか。
誰かから嫌々「させられる」人生か、それとも自分の意思と行為でもって「する」人生を選ぶのか。

きみはどう生きたいの?って、問われているのかな。


投げかけられている問いにどう応えたいのだろう?
葛藤は今でもなくなったわけじゃない。
明確にどちらかでもないのかもしれない。
狭間でどうしようもなく揺れ動きながら、何度も何度も引き裂かれながら、応えていくんだと思う。

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