哀しみを受け入れるまで、 そっとそばにいてくれること
もし自分の目の前に、
哀しんでる人がいたら、きみはどうするだろう?
声をかけるだろうか。
励ましてあげるだろうか。
それとも、あたたかい飲み物を渡してあげるだろうか。
僕が心が安まるのは、
哀しみを充分に受け入れるまで、
自分を信じてそっとそばにいてくれることだと思った。
利用しているオンラインカウンセリングcotreeのnote。
お!担当していただいてるカウンセラーさんが記事を書いているではないですか。
先生は、「答えは必ず本人の中にある」「望ましい変化のためのカギは、全て本人の存在の中に備わっている」という前提に立っていました。そして不思議なことに、先生がそういう前提でいるので、「必ず答えやカギが見つかる」のです。「必ず」です。カウンセラーがどういう前提に立っているか、そこから既に、カウンセリングのプロセスはスタートしているのでした。
一読して僕はこの言葉が頭から離れなかった。
「必ず答えやカギが見つかる」のです。「必ず」です。
思ったのは、
必ず?100%ってこと?絶対ってこと?
いやいや、そんなのありえない。
そして、
イライラが湧いてきて、
あくまで理想でしょ、綺麗事に過ぎない、無責任なこと言うな!
と、怒りに支配されていた。
正直に言えば、ムカついていた。
僕はいつも自分がお世話になっているカウンセラーさんに
一方的に腹を立ててしまっていた。
翌日。
昨日のことを振り返って、自分の反応が否認と怒りだったことに気づく。
気づけたのは、今まで自分が何度となく
このパターンを繰り返してきたことを
藤田さんとのカウンセリングセッションで自覚しはじめていたから。
否認と怒り。
この始まりにあるのは、哀しいという気持ちだ。
「必ず答えやカギが見つかる」のです。「必ず」です。
カウンセラーさんがそういう前提でいることを僕は知っていた。
いや知っていた以上に、
その在り方にとても共感していたし、尊敬もしていた。
なのに、腹を立てていたのは、
カウンセラーさんに対してじゃなく、自分に対してだったんだ。
僕はいまだに自分の答えを見つけられていない。
そんな自分が哀しかった、惨めだった、恥ずかしかった。
自分の内側の気持ちを正直に受け入れられなくて、
いやいや、そんなのありえないと否認して、
無責任な!と怒りをまき散らしていた。
( 、、、ぅぅぅ、まさに穴があったら入りたい。)
自分は哀しかったんだな、そう気持ちに素直に触れたとき、
哀しみの只中にいた自分にカウンセラーさんはいつも
答えはあなたの中にあるよ、必ずあるよ、という姿勢で
最初からこれまでずっと接してくれてたんだなと気づいた。
な〜んも分かってなかったな、、、
今になって深い深いあたたかさを感じずにはいられなかった。
僕が望んでいたことは、
励ましの言葉や解決に向けてのヒント以上に、
大丈夫、あなたには力があるよと、
自分という人間をまるごと信じてくれていることだったのかなと。
だから、このカウンセラーさんを僕は選んだのだと
今になって気づいたんだ。
ある本の一節を思い出した。
“大切なことは目には見えない”
な〜に言ってんだか…と思いつつも、
たぶんきっと、そうなのかもしれないとも思っている。
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