「無理をしないと人と関係を築けない」と思っていた
生きるのがしんどい…
このまま生きてても意味がない…
なんで私は生まれてきてしまったんだろう…
生きづらさとは、自分の苦労が奪われ味わえないことなんじゃないかな。
その「自分の苦労」を阻んでいるひとつが自分のなかの思い込み。
僕はずっと「自分が無理をしないと人と関係を築けない」と思っていた。
◆◆◆
以前にも紹介したけれど、またまた登場。べてるの家の向谷地生良さんの言葉。
べてるの家が大切にしてきた生き方の一つに「苦労を取り戻す」ということがあります。
私は、精神科の専属ソーシャルワーカーとして仕事をはじめて、入退院を繰り返す若者たちと出会ったとき最初に思ったことは、統合失調症を抱える当事者の苦しみは、病気を背負ったこと以上に、「本来の自分らしい苦労を奪われている」ことだと思いました。 p28
HSPも精神疾患も認知症も発達障害も、気質や病気や障害を持ったこと以上に自分の苦労が奪われ味わえないことが生きづらさなんだと思う。
最初のきっかけはまわりからの圧力だったのかもしれない。まわりが奪う、まわりが否定する、まわりが矯正してくる。
次第にそれに応えるように本人が自分自身を無理に捻じ曲げてしまうようになる。そうじゃないと生きていてはいけないと思い込むようになる。
最近になって気づいた。
僕は「自分が無理をしないと人と関係を築けない」と思い込んでいたんだなって。それが僕にとっての「生きづらさ」をつくっていたのかーって。
常に自分が犠牲にならないといけない、いつも自分がガマンしないといけない。人と関わるってそういうことなんでしょ、それ以外なんてありえない。犠牲、ガマン、無理するしかない。。。
そりゃあ、人と関わるのがしんどくなるし、生きるのが苦しくなるよね、、、
その自分のなかの思い込みが自分ではない誰かの苦労ばかり気にかけたりして、自分らしい苦労を背負うことを阻んでいたんだろうなって。
◆◆◆
じゃあ、これまで経験してこれなかった「自分らしい苦労」ってなんだろう?って考えてみた。
自分も相手も大切にしつつ関係を築けるようになること。
そのために工夫や努力や知恵をこらすこと。
言葉にしてみると、なんとまあ!ひえ〜、こりゃあ大変だあ!今までやったことがねえ!どうしたらいいかなにも引き出しがない!まいったな〜〜〜。
でも、自分の苦労ならやるしかないねえというか。自分の苦労の引き受け手は自分しかいないんなら担いましょうかねえというか。
苦労っていうとネガティブなイメージを想像しまいがちだけれど、どういうわけかこの自分という人間に生まれてきたことを噛みしめて味わうためには必須な体験なんじゃないかな。
今まで苦労かけてこれなくて、ごめんね。
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