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Photo by
poconen
そこに理由なんてなくてもいいんだ
通い始めてしばらく経つあるお店でこの前、店長さんと話す機会があったので聞いてみた。
「そういえば、このお店の名前ってどんな由来なんですか?」
街の雰囲気に合う、アルファベットで綴られたおしゃれな名前。
だけど、ぱっと見ただけでは由来が想像つかないのが、実は前から気になっていた。
すると店長さん、苦笑いしながら答えてくれた。「いやぁそれが、由来とか、なくて」
「お店を始めることが決まった段階でまだ店名がなかったんで、おしゃれな響きのものをいくつか並べて、みんなで決めたんです」
なるほど、と思った。
由来とか理由とか、なくてもいいんだ。
そんなふうに名前が決められた店だが、ファンも多いようだしわたしも気に入っている。
そして名付けられたときの思惑どおり、「おしゃれっぽい」イメージまでちゃんとある。
そこに何も問題はない。
わたしたちは人生でたびたび、「なぜ」を問われる。
学校では「なぜ自分がこう名付けられたから」を聞いてくる宿題が出るし、就職活動では「なぜこの会社に入りたいか」が重要な質問の一つとされている。
「なぜこの商品を買ったのか」「なぜそこに住むのか」「なぜこの店に通うのか」。そんなことを聞かれたり、それに答えをひねり出したりしながら毎日をやり過ごしているような気さえしてしまう。
だって、大した理由がないこともあるから。
理由なんかなくても、理由自体にはたぶん、あまり意味はない。
むしろ大事なのは目の前の事実だったり、自分なりの理由をもとにとった行動のほうだったりする。
これまで、理由を聞いて「なんとなく」と答えられてもやもやしていた自分への、自戒を込めて。