親は子供の背中を見て気づく?
やっと休みの日がきた。
明日は休みだ!やっと思いっきり寝れるぞ!」そう自分を鼓舞して今日までを乗り切っってきた。今の私では1日2時間睡眠のダブルワーク生活は3日までだなと身にしみて感じた。気持ちを少しでもゆるめると途端に睡魔が襲ってきて意識が無くなりそうになるのだ。特に出勤の行き帰りの車の運転中は要注意だ。信号待ちの一瞬も気持ちが緩まないように、私は大好きなお菓子を車中で食べ続けるという乗り切り方法を見つけ出した。
動いていたり、人と会話してる時は大丈夫。
しかし「ああ~今日もやりきれたな~。家に帰れるな~」と夕方自宅に戻る運転中が一番、気持ちが緩みやすく注意が必要だった。
そういう時ほど、シンクロがよく起きる。(シンクロニシティ…共時性)
筍で春巻きをたくさん作ったから帰りに取りにおいでと連絡をくれた、一人暮らしの母が突然「運転だけは十分気を付けなさいね」と突然言ってきたり、深夜のアルバイト先の宅急便会社で朝出勤のドライバーがアルコール検知機を使ったチェックや睡眠時間の確認の安全確認をしてる言葉が急に耳にはいってきたりしていたからだ。
「安全運転」これが今の私には重要なキーワードのようだ。
気持ちがOFFモードになりそうになるその時間をなんとかONモードに保ち続ける為いろいろ試したりもした。眠気覚ましのガムを食べたり、大きな音で音楽を聴いたり、大好きな嵐の歌を熱唱してみたり。
残念ながらどれも効果としては弱かったのだ。
私にとって一番効果があったのには「大好きなお菓子を食べること」だった。チョコレート菓子や塩味のおかきが良かった。食事や菓子パンなどお腹がいっぱいになるものはさらに眠くなるのでNG。
まるで人は「食べる」ことで「活動モード」に切り替わるかのように、食べながら「ああ。おいしい~」と楽しくその時間味わえていると特に効果があった。
信号待ちでの車中、ハンドルをにぎりながらもぐもぐ食べてる姿というのは、みっともいいものではない事は十分わかっていた。
それでも「これは事故を起こさないためのやむおえない事ゆえなにとぞご容赦を!」そんな言葉をいいながらおかきをバリバリ食べているわたし。
滑稽である。
私はいったい誰に向かって自己弁護しているのだろうか。
そんなこんなで試行錯誤の繰り返しである。
昨夜は深夜の宅配会社でのアルバイトも休みなので、久しぶりにパジャマに着替えてベットで眠った。(いつもは寝過ごさないために洋服のまま床で寝ている)
「死んだように眠る」
そんな言葉があったような。
私の場合はこの言葉がぴったりだろうか。
「生まれ変わったように目覚める」
そう。そんな感じて今朝はすっきり目覚めた。疲労感で重く感じていた体も「ああ…もう何もしたくないな」というネガティブな感情も、まるで心と体をすっかり新しく取り替えたようにすっきり消えてなくなっていた。
ここまでの話だと、ただ仕事に疲れた大人が休日にたっぷり眠れてすっきりできたという話なのだが、ここからが本題である。
「子供の背中をみて親が気づく?」なぜこのタイトルをつけたのか。
「親の背中を見て子は育つ」とはよく言ったものだが、私が気づいたのはその逆バージョン。どういう事かというと、
息子の言動・行動が、じつは私の心的状態とリンクしていて、息子の背中をみて(言動から)私は自分に気付きをもらえている。(シンクロニシティがおきている)ということなのである。
もう少し具体的に言ってみると、私自身が「ああ…疲れたな~今日は仕事を休んで一日寝ていたいな~」「ああ…好きな動画を見て気分転換したいのに、時間が全然なくてキツイな~」と本心ではそう感じているのに、周りにも自分にも「全然大丈夫。まだまだ頑張れる。もっとやらないと」などと自分偽っていると、私の本音が息子の言動に現れ、息子の言葉を通じて私に伝えられてくる。というシンクロが起きるのである。
息子が突然、こう言ってきた。
「明日の野球、俺は行かない」「土日も野球ばっかりでGWも試合や練習ばかりだったし、俺、全然休みがないんだもん」
息子の言動は今の自分の姿を映している鏡のように感じた。彼の言動をジャッジして批評する事に意味はなく、それよりは、そこから自分の本心に気付くよう、より高尚な世界からメッセージをもらっている。という感覚がわたしにはあった。
「なんだか自分を見てるようだな。私も息子も頑張りすぎて、今にも精神的に糸が切れそうになっている気がする。エネルギーの電池切れのよう。とても疲れているんだ。まずは眠って心と体を休ませる事が必要だ。それから好きな事に没頭できる時間を少しだけでも作ってリフレッシュ。満足感がでてきたら充電完了だな。」解決する為の段取りがパッと頭に浮かぶ。
実際彼も「やる事をやった」上で「やりたい事」をやるには時間が足りないとジレンマに苦しんでいた。
何かを習得したり、手にいれる為、あるいは、夢を叶え理想の生活を実現していくためには、どんな時でも、習慣化して自分のものにできるようになるまで、行動を継続できるという事が必要になってくる。特に、手が抜けず頑張りすぎる真面目なタイプは、途中で頑張りの糸が張りつめすぎて切れそうになっているサインに気付け、上手く糸を緩めて、本来の健全な自分の状態に戻すセルフコントロールができる事が鍵となってくるだろう。
私は、息子に平日の野球練習を休む事を許可し、その代わりに、ゲームやユーチューブ動画の視聴はやめて、普段よりの早く寝て睡眠時間を多くとるようにすすめた。
私自身も仕事が休みの日、「やるべき事」が山積みになってる中で最優先に「睡眠」を選んだ。心身を健全な状態に戻すべく「睡眠」を十分にとるようにしてみた。
そしたら、実際、私も息子もまた、元気に前を向け行動できたのである。
今回の私にとって、息子の背中(言動)が今の私を映す鏡となり、私自身に気づきをもたらしてくれたが、その鏡は息子だけでなく、自分と関わる全ての周りの人達なのかもしれない。そんな風にも思っている。