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反AIはなぜ盗んだと言う言葉を好むのか
こんにちは、榊正宗です。
反AI派の人たちが著作権について深く議論せず、『盗んだ』という言葉を多用するのって、正直不思議だと思いませんか?その背景には、生成AIの学習が現在の著作権法のもとでは合法で、実際には問題視されるべき点がないことを認めたくない、という心理があるのかもしれません。もし彼らが真剣に著作権を掘り下げたら、手描きの二次創作なんかも同じく法的リスクを抱えることが明らかになってしまいますからね。
それでも『盗む』という言葉が使われるのは、言葉の曖昧さと強い感情を引き出す力を利用しているからでしょう。この言葉には時にポジティブなニュアンスが含まれることもあり、使い方次第で議論をぼかしながら人々の感情を煽る効果があります。そんな状況に乗じて、いわゆるキャンセルカルチャー的な流れを生み出そうとしているのかもしれません。でもね、そうした批判には共通して、具体的な改善策が見当たらないんです。結局、ただ批判するだけで終わっているように感じます。
たとえば、本当にAIの学習が『問題』だと思うのなら、何をどう変えればいいのか、具体的な提案を示して議論を進めてほしいですよね。ただ感情的な言葉を並べるだけでは、議論が空転してしまうばかりです。感情に訴えるキャンペーンを展開するのは簡単ですが、それが長期的な解決につながるわけではありません。
だからこそ、この問題を冷静に見直して、本当に著作権がどこでどう守られるべきかを考えるべきだと思います。議論を感情的に煽るよりも、建設的に解決策を探る道を模索するほうが、みんなのためになるはずです。あなたはどう思いますか?