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はじめてのコミケはまぶしかった~同人小説を作るまで~

昨年、コミックマーケット99A(C99A)にサークルとして初参加した。心配されていたコロナウイルスの影響は避けられなかったようだ。しかし、目立った集団感染が見受けられないことは幸いである。

今回は2日間で約11万人の人々が来場するイベントとなった。コロナ前のC97の来場者数は約75万人らしい(すごい)。規模は大幅に縮小したが、それでも世界最大級の同人誌即売会であることには間違いないだろう。

今回はコミケにはじめてサークル参加をするまでを、同人小説を作る過程とともにお伝えしたい。

はじめてのコミケ
~一般参加~

私がはじめてコミケに参加したのは2015年の夏だった。連日の猛暑や台風で過酷なイベントが予想されたそうだが、その日はさほど暑くない快晴の1日だった。

とはいえ、開催時期はお盆、つまり真夏である。陽射しはとてつもなくまぶしく、汗は滝のように流れた。

入場までの待機列に並んでいるだけでこんな状況だから、ビッグサイトに入るころにはポカリスエットの500mlが無くなっていた。

入場して、驚愕した。見渡す限りの人だかりだ。コミケではまっすぐに歩けない、なんて話を聞いたことがあった。噂だろうと思ったが、本当にまっすぐ歩けなかった。

リュックサックと紙袋をよけながらカニ歩き。人の流れは縦横無尽で、気付けばフロアの端っこまで流されていた。息苦しさと暑さにのぼせ、壁に手を置き、へたりこんでしまった。

「これがコミケか……」

カタログを買わず、サークルすら調べず、ミーハーな気持ちで訪れてしまったが故に、このときは何も買うことができなかった

もちろん、閉会前のころには人数も落ち着き、ゆっくり見れるようになった。気になるものもあった。

だが、怖じ気付いてしまったのだ。作品の目の前に作者がいる状況がはじめてで、口下手な私は話しかけることができなかった。どんな手順で買えばいいのか、特別なルールがあるのか、それすらよくわかっていなかった。

とりあえず周りをよく観察してみた。すると、いろいろな人が参加していることに気づいた。紙袋を大量に提げた戦士ばかりではなく、家族連れやカップル、海外から来たであろう人、お歳を召したかたまで、様々な人が作品を手にしていた。

そこで見えたのは、笑顔だった。手に取る人も、頒布する人も、互いがありがとうございますと言い合っていた。もちろん淡々と買う人もいた。それでも、嬉しそうだった。そんな姿にみとれた。

今回の記事では「頒布(はんぷ)」という言葉が出てきます。これは「同人作品は価値が付いて売ることができるが、あくまでも作品である。同人イベントでは無償の作品もあるので販売とは言えないものもあり、なおかつ作者が作った作品を広めるだけ(頒布)、という概念が込められている」という同人イベントの価値観に基づいています。面倒くさい、と思ったのならすみません。この言い回しに少々お付き合いください。詳しくはこちらへ。

自分自身の作品が目の前で売られていく。いったいどんな気持ちなんだろう。わたしにはわからない。けれど、時間も手間もかけるだけの何かがあるのだろう、きっと。多くの人の笑顔を見るにつれて、こんな気持ちが芽生えた。

「いつかは、サークルとして参加してみたいな。いつかは、いつかね」

その後も何度かコミケに訪れた。友人がサークル参加するときに応援に行ったり、人気サークルの頒布品のために寒空のなか2時間近く並んだり、回数こそ多くないものの、行くたびに「来てよかったなあ」と思えた。

いつぞやの冬コミ。
通路一体が参加者でいっぱいです。


はじめてのコミケ
~サークル参加のその前に~

そしてきたる2020年、コロナウイルスによって天国から突き落とされたような気分になってはいたが、特に代わり映えのない毎日が、さらさらと流れる小川のように過ぎ去ろうとしていた。

今年も何もしなかったなあ、と思っていた。とりあえずnoteとtwitterをはじめてみたはいいものの、特に何も起きなかった。今年も終わりか、と思った12月、twitterを眺めているとこんなツイートがあった。

「もうすぐC99の申し込み締め切りです!申し込みはお早めに!」

このツイートを見るなり、私はコミケに参加すると決めた。なんでそう思ったかはわからない。だがツイートをみた翌日、メロンブックスへと駆け込んでいた。


入店すると、目の前に飛び込んできたサークル参加申込書セットをじっと眺めた。

胸が高鳴った。これか、これか、これで私はコミケに参加できるのか、

念願のサークル主としてーー

突如、店内に閉店を知らせるアナウンスが流れた。時間がない。ここで決めなくては。

どうする、どうする、参加しようにも作品がない。申し込み期限に間に合うかすらわからない。無茶だ、無茶苦茶だ。何も知らないのに。

そんな止める私の声を押しきり、レジへ申込書セットを叩きつけた。

「これください!」

やるしかないと思った。


申込書セットを買ってから、近くのスタバで恐る恐る開封した。これで私はコミケにサークル参加できるのか、と安堵したのも束の間だった。サークルの申し込み期限は

「み、3日後……!?」

3日後までに何を頒布するか、どんなあらすじか、価格は、サークルカットは、などなどを決めなくてはいけなかった。もうわけがわからなくなった。

そんなとき、ふと思い出した。そうだ、高校のときに作っていた作品があった。あれを出そう。


こちらの記事で何を書いたかについて少し触れています。


頒布物の値段や頒布数、イラストアプリの使い方などを、ネットを駆使してがむしゃらに調べた。考えて、書いて、描いて、そして、深夜のテンションでガツンと提出した。

同人誌の頒布数はこちらのサイトを見て判断し、10部刷ることにしました。また、ibisPaint Xを用いてサークルカットを作りました。普段イラストを描かない私でも簡単に使えました。専用の機材やペンがなくても、スマホと指で簡単に描けるので、使いやすくておすすめです。


あとは当選・落選の結果を待つだけとなった。ドキドキしながら待ったのだが、残念なことにC99は延期となった。コロナウイルスの感染数が落ち着かなかったためだ。しかし、私はホッとした。同人誌に時間を作れないほど、仕事もプライベートも多忙なときだったからだ。

はじめてのコミケ(番外編)
~文学フリマ東京~

そんななか、文学フリマ東京への参加を決めた。コミケの前に一度同人誌頒布イベントにサークル参加をしておきたいと思ったのだ。

文学フリマは文学作品の展示即売会。出品される作品は小説・評論・ノンフィクション・ZINEがメインとなります。
東京だけでなく、大阪、京都、札幌、福岡、広島、岩手と、日本各地で開催されており、早期に申し込めば抽選がなく出品できるところが魅力的です。詳しくはこちらへ。

しかし、9月、10月の体調不良と、先延ばしにする癖もあって同人誌はなかなか完成しなかった。コミケの当選も決まったのに、なかなか動き出せなかった。

しかも、すでに書いた思っていた3万字ほどの本文のデータが壊れていた。文章をほぼ一から書かざるを得なくなった。表紙のデザインも、扉も、奥付きも、すべてはじめて。記憶とわずかに残った資料、ネット上の知恵を駆使して何とか書きあげたのは入稿締め切りの当日だった。

小説書きの同人誌作成で困るのが「表紙作り」でしょう。すべてはこちらと、こちらのサイトを何度も拝見しました。印刷所はおたクラブさんにお願いしました。入稿の翌々日には受け取れるスピード入稿がとてもありがたかったです。用紙の種類やページ数にも寄りますが、106ページを10部刷って6070円(税込)でした。コミケで聞いた話だとちょ古っ都製本工房さんもいいとのことです。

17時から朝9時までの夜勤を終え、「おつかれさまでしたー」と挨拶するなりダッシュで車へと乗り込み、パソコンを開く。眠い目をこすって最後のチェックをする。入稿締め切りの30分前のことである。


入稿の確認ボタンにカーソルを合わせ、
「よろしくお願い、しまああああすっ!!」とサマーウォーズよろしくクリックする。

「ご入稿ありがとうございました!」

この画面が出てきたとき、感じたのは安心ではなく、不安だった。きちんと体裁にあっているのか。データが壊れていないか。乱丁落丁はないか。なにより、本当に同人誌は完成するのだろうか。気になってしかたがなかった。


入稿翌々日、秋葉原のおたクラブ(大阪印刷株式会社)さんまで頒布品を取りにいく。雨の降る寒い日だった。せっかくの受け取り日なのについてないな、などと思いながら水溜まりを避けて暗い道を歩いた。

入店し、名前を告げると、

「こちらでお間違いないでしょうか」

目の前に現れたのは、紛れもなく、私の本だった。必死になって作り上げた本が目の前にかたちとして現れたのだ。

思わず「おお……!」と声をあげてしまった。

これが、私の本、自著だ。

一冊一冊を確認する。入力のミスはないか、きちんと印刷されているか、そのすべてを確認し終わったとき、はじめてホッと安心できた。

一冊ずつ丁寧にファイルへとしまう。一冊106頁の薄い本とはいえ、10冊もあればずっしりとした重量感があった。

雨空のなか、気分は浮かれた。カバンは重いはずなのに、足取りは軽かった。まだ一冊も頒布していないのに、なぜかとても満足していた。自分の思いがかたちになることがここまで嬉しいものだとは思わなかったのだ。

前祝いと言わんばかりに、酒屋でビールを一杯頼む。パチパチとはじける泡が私を祝福しているみたいだった。


文学フリマ当日は3冊頒布できた。これがサークルとして参加することなのか、という嬉しさと、それでもなかなか売れない悲しさがあった。

頒布数が伸び悩んだのには色々と考えられるが、大きいのは準備不足・宣伝不足だろう。それに、スペースの配置があまりにもイケてないのだ。

素人感が満載!

視認性の悪い手書きのPOP、お品書きやポスターがない、敷き布も貧相、あまりにもダメダメだった。

お隣の「緑の雨文芸」さんのスペースが美しく、とても参考になりました。こちらに文学フリマの参加レポートを掲載いたします。


あまりにも足らないものが多過ぎて、ちょっとだけ自己嫌悪に陥った。コミケでもこんな感じではダメだ、ダメだけれど、時間がない。

またある時、「表紙の雰囲気が暗い」と友人に指摘された。指摘は的確で、グサッとこころにささった。とはいえ、きちんと意見を言ってくれる人がいることがありがたかった。ちょうどメンタルがズタボロになっていたときだったので、そう思えたことが心の支えになった。

そのときのことについてはこちらへ


しかし、結局、表紙は直せなかった。

すまん、友人よ、と思いつつ、コミケ当日を迎えることになった。


はじめてコミケ
~当日の朝~

サークル参加の当日は徹夜だった。体調不良では迎えない、と思っていたのに、引き延ばし癖が出た結果である。計画性の無さの成れの果てである。

徹夜で何をしていたのか、というと、お品書きと値札を作っていた。夜の8時50分、閉店の10分前にヤマダ電機へと駆け込み、ラミネーターを購入した。

本来なら印刷所でカラーポスターを印刷するのがいいのだが、そこまで頭が回らなかったのでポスターを自作することにしたのである。

お品書きと値札のテンプレートを探し、Adobeソフトを持っていないため、png画像をパワーポイントに貼り付けて作る。

お世話になったテンプレートはこちらこちらです。

作業がゆっくりで、ぼーっとしながら作る癖のため、出来上がったのは朝の5時だった。サークル参加の手続きを考えてもそろそろ他の準備をしないと、という時間だった。

少々の仮眠の後、頒布品と入場証を携えて電車に乗り込む。まだ陽が出て間もない空は紫と橙が混ざった色をしていて、期待と不安が渦巻く頭のなかのようだった。

現地に近付くにつれて、少しずつ空が明るくなっていく。同時にダンダン心がワクワクしてくる。すると、これは偏見なのだけれど、周りにいる人全員がコミケの参加者かもしれない、とすら思えてくる。大きなバッグと脚の長い三脚を持つ人、めちゃくちゃ大きなキャリーケースをふたつ両手に持つ人、中身の入っていなさそうなリュックサックを背と腹に抱える人、友達と互いにスマホを眺めつつ盛り上がっている人、などなど。

「新木場~ 新木場~」

私が勝手に参加者だと思っていた人たちの目が輝く。共に乗り換えて、いざ行かん。りんかい線に揺られて、降り立つ国際展示場駅。長い長いエスカレーターを抜けると、目の前にはすっかり昇りきった朝日を背にしたビッグサイトがお目見えである。

後光が差している

徹夜明けの目も一瞬で覚めた。長い自粛の末やっと開催できたこの舞台で、私は自著を頒布できるのだ。身が引き締まった。

コミケ初参加の2015年。衝撃を受けたあの1日を、忘れたことはない。いつかサークル側で参加したいという熱意を抱いたあの瞬間を。

コミケサークル参加は私の夢だった。

ーー6年越しで夢が叶った瞬間である。


はじめてのコミケ
~参加レポート~

と、感傷に浸るのもそこそこに入場する。今回は、入場チケットに加えてワクチン摂取( or PCR検査の陰性)証明書が必要になり、入場への手順がやや煩雑になった。ネットを見ると、ワクチン絡みで参加を取り止めた人もいるらしい。感染症のリスクがあるなかでの開催はなかなか難しいものがある。

私も寒空のなか結構待たされるのかと思っていて不安だった。しかし、運営スタッフさんの対応は良かった。慣れた手つきでテキパキとさばいてくださり、ストレスなく手続きができた。時間ギリギリに向かったこともあってか、入場チェックの待機者が少なかったこともあるのかもしれない。

会場内は思ったよりも静かだった。開催中のがやがやしているところしか見ていなかったから、新鮮な気持ちになった。各々の出店者が黙々とブースの設営に勤しんでおり、静かな背中から「やるぞ」とみなぎる熱意が伝わってくる。

前回の反省もあり、ブースの見映えを少しでも良くしようと考えた結果がこちらである。

前よりかは良くなった

お品書きと値札をラミネートし、見本紙をスタンド。PCで本文のサンプルや表紙・裏表紙を投影して、すこしでも目に留まってくれるように心がけた。だが、なんだか貧相である。周りを見渡すと、理由がわかった。

敷き布がちゃんとしている……!」

たかが敷き布、されど敷き布。ブースの見映えを大きく左右するものだった。確かにおしゃれな化粧品の広告って、ふわふわしたなんか質が良さそうな布みたいなもので背景がおおわれている。美味しそうなハンバーガーの広告って、原色の目を惹く背景に「ビーフ100%!!」とこれでもかと商品の魅力を伝えてくる。同人誌でも、魅力を伝えるには作品を覆う敷き布が大事となる。敷き布はいわば広告の一部なのだ。やってみるまで気付かないことだらけである。

お隣のスペースの虚事新社さん(長らく同人小説を発表しているベテランサークルさん)にどこで入手したのかを尋ねると、手芸用品店のユザワヤを利用したとのこと。100均で済ませてしまっていたので、次回の参加時にはちゃんとしたところで買おうと思った。

コロナの影響もあってか、スペース同士の間隔は広く取ってあり、移動も楽々だった。コロナ前の人でいっぱいのときは背中側のサークルとの隙間は人がひとり通れるか否かだったというが、今回は3人が手を繋いでも通れるくらいにディスタンスが取られていた。ポスターも置き放題であった。

個人的にはとても快適なサークルスペースであったように思う。当日が比較的暖かかったことも良かった。換気は十分に取られていたが、凍えるほど寒くなかったのは幸いだ。

開催時間になると、チャイムとともにアナウンスが流れた。

「コミックマーケット99A、開催です!」

溜め息をひとつついた。からだがやる気に満ちた。


設営後早々に個人的な買い物に行くというサークル主としてあるまじき行動をしつつ(買いたいものがあるときは複数人で行こう)、ブースに戻ってひたすら売り子に徹する。

嬉しかったことは、文学フリマのときよりも立ち止まってくださるかた、見本紙を手に取ってくださるかたが増えたことだ。スペースを前回と比べてきちんと作った甲斐があった。

それでも、なかなか売れなかった。声をかけても素通り。興味を持ってくださったかたにうまく説明できない。説明できても「小説なんです」というと「ああ……」といって去っていく。手に取って見てくださったとしても、「恋愛ものは苦手」とジャンル違いに落胆する。なかなか購買まで結びつかなかった。

案外きついのが、きちんと最後まで目を通してくださってから、「ありがとうございます」と戻されることだ。読んでくださることはとても嬉しい。だが、購入されなかったということは純粋に筆力が足りない、購入に至るまでの魅力がないといわれているような気がしたのだ。読んでくださったかたが悪いのではない。私の作品の魅力がないだけなのだ。そうした事実と向き合うのは、わかっていてもこころがヒリヒリした。ネットでは味わえないリアルな感情だった。

このまま売れないのではないか。1時間、2時間と時は過ぎ、撤収作業を始めるサークルも出てきた。それでも、せっかく来たのに途中で帰るのはもったいない、という貧乏性だか負けん気だかわからない感情が芽生え、必死に声をかけ続けた。

そう思ったとき、さっと目が合った人に声をかけた。

「こんにちは、よろしければご覧下さい」

お品書きを見るなり、見本紙を手に取ってくださる。パラパラと見本紙を眺めつつ、こんなことを話す。

「どんな作品なんですか?」
「春夏秋冬と四季が移ろうなか、男の子と女の子が成長していく物語です」

「見どころはありますか?」
「季節が移ろうにつれて文体が少しずつ硬くなっていきます。主人公たちの精神的な成長を体感できるような作りになっています。また四季折々の自然描写にも力を入れました」

「タイトルの『溜め息』ってなんですか?」
「ぱっと現れ、ぽっと消える、そんな儚い人生を表しています。人生には嬉しいとき、悲しいとき、辛いとき、気合いをいれるときなど、さまざまな瞬間があります。溜め息はそういったシーンに現れ、この作品を象徴するモチーフなんです」

「なるほど」

「一冊ください」

私には私の顔が見えないけれど、私の目は輝いていたに違いない。

「あ、あ、ありがとうございます!」

お金を受け取ると、パイプイスから勢いよく立ち上がる。慌ててカバンから作品を取り出し、両手で手渡す。相手はそんなに仰々しくしなくても、といって笑った。そのほほえみが眩しかった。


その方を含めて、コミケでは3冊売れた。文学フリマと同じ部数だけれどもとても満足している。小説だけでなく、漫画やコスプレも含むオールジャンルのイベントで3冊頒布できたことで大きな達成感を覚えたからだ。

なにより、憧れのコミケで売れたことが嬉しかった。サークル参加をし、そこで売る、ということがここまで大変だとは思わなかった。だからこそ、売れたときの喜びはひとしお身に染みるのだ。

17時を知らせるチャイムが鳴ると、周りのサークル主たちが立ち始める。

「ただいまを持ちまして、コミックマーケット99A、これにて終了です!次回はいよいよ100回目。コミックマーケット100でお会いできる日を心待ちにしております。みなさま、おつかれさまでした!」

会場が拍手で包まれる。パチパチと弾ける拍手は来場者を、サークル参加者を、そしてコミケット準備会の運営さんを、コミックマーケットに関わったすべての人を祝福していた。

ひさびさのコミックマーケットが無事に終わったためか、拍手はしばらく鳴りやまなかった。


荷物をまとめ、会場の出口へ向かうと夕陽が差していた。

「うおっ……!まぶしっ……!」

会場内の明かりになれた目には眩しすぎる夕陽だった。

帰途へつく人たちの多くは思い出と言わんばかりに夕陽の写真を撮っていた。

写真を撮る人々の顔は満足そうだった。買いたいものは買えただろうか、手に入れられなかったものはあるだろうか。いずれにせよ、写真を撮るほどである、来場して良かったと感じているはずだ。

そんな姿を見ると、嬉しくなった。この人たちとは直接会っていないが、いっしょにイベントを盛り上げたられたのだ。一般参加したときにはそんな気分にはならなかったけれど、サークル参加するとイベントに貢献できた、という感情が強まる。私の場合は、という注を付する必要はあるだろう。とはいえ、これがサークル参加する人の気持ち、なのかもしれない。

帰りの電車に乗るなり、どっと眠気がやってきた。そういえば昨日の夜からほとんど寝ていなかった。降り過ごして会社に遅刻しませんように、と願いつつ(この日は年越し夜勤だった)、目覚ましをかけて目を閉じた。

始まるまでは不安でしかたがなかった。だが、終わってみればもの悲しい気分になる。同人イベントへの参加は正直、時間もお金も中々かかる。それでもまた参加したいと思える、中毒性のある活動だ。

まるで聖火リレーのようである。とある人がつけた火を燃やし続け、また別の場所に運んでいく。それと同じく、参加した人が魅了され、サークルとして参加し、同人誌の頒布イベントという存在を常に存在させ続けているのだ。

この記事を読んで、「同人イベントに行ったことがないけれど気になる」という人がいたら是非行ってみてほしいし、「同人誌作ってみたいけれど売れるか不安」という人がいたら是非作ってみてほしい。絶対に楽しい、絶対に売れる、とはいえない。だけれど、「これが同人イベントか」と肌で感じることは、参加するかしないかでは、サークル参加するかしないかでは、大きく違ってくることがわかった。

以上の参加レポートが誰かの同人イベントの参考になったら幸いである。

帰途の電車のなか、眠気まなこで思った「行ってよかったなあ」という感情は夢ではない。はっきりとそういえる。

あの眩しい朝陽を、眩しい夕陽を求めて、きっとまた参加するのだろう。

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大変お世話になった参考サイト



「緑の雨文芸」さんの文学フリマ東京の参加レポート


虚事新社さんのホームページ


C99Aで頒布した同人誌はこちらです。


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