新しい言葉が必要な理由は陰謀にあった:実数/虚数の私
「俺一人で何もかもするのかよ」
先日、こちらの記事を書いた。
記事を書き終えたのち、己に問いかけた。
「実数/虚数の私、わたしたちがわかった。
じゃあ自分は何をするか?」
すると、僕の脳から次の言葉が現れた。
「結局俺一人であれもこれもしなきゃならないんだ」
この後浮かんだ言葉として
脳みそが強烈な否定と苦しみをもって、僕に訴えてきた。
初めての方、おさらいをしておきたい。
おさらい:虚数/実数の私、私たち
複素数:実数と虚数二つの数を混ぜた数学分野。物理は量子・電磁気で使う。3Dでは四元数という形で物体の回転で使う。
実数:実際に計測できる数。π(円周率)や√5(適当な数字)など。2乗すると0以上の正の数になる。
虚数:本来は「ない」のに強引に「ある」と設定した数。2乗すると負の数になる。末尾に必ずiがつく(i=√-1,i^2=-1)
実数と虚数の定義を基に
虚数の私:自分が把握できてない自分の能力など、本来「ない」はずなのに「実はある・持っている」自分、正負があり、+だと「すごい自信」-だと「ねちねちした不安」に変わる
実数の私:現時点で把握できてる部分。
実数の私たち:実数の私を含む、自分でも気づかないが「いる」複数の人々。実際にいる人々+幻の人々。自分を含む「みんな」
三つの言葉をおさえたうえで、本筋に戻る。
そんなの考えて意味あるの?
基本、自分の思想は「無意味かつ無駄かつどーでもいいこと」考えている。実数の私たちなど考えなくても生活できるし、いつ死ぬかなどわからない。第一自分の事だけで精いっぱいだ。
徹底した「個」だけを考えればいい……が以前の生き方だ。僕の脳にとって今までなかった例外を、自ら創り出したのだ。
今までは自分だけを考えればよかった状態が、急に自分以外--僕にとって存在すら把握できない「実数の私たち」--を考えた。
そりゃ脳は悲鳴を上げる。脳にとっては「ない」生き方だから。
新しい生き方を送ると決心した後、
必ず一番の抵抗勢力「過去の実例に基づいた、脳の思考パターン」が現れる。
ある会社の社長が「次年度はこうする」決めたとき、逆らう役員や社員に似てる。
政治なら党首が「こうする」決めたとき、必ず逆らう党員・議員・有権者がいる。
新しい料理/仕事を試そうとしたとき、拒んでしまう周り・自分自身がいる
これらと似た現象が、僕たちの脳内でも起きている。
脳内は可視化できないし、決して表に上がってこない。
「なんで誰も私の苦しみをわからないの! あなた含めてわかってくれないの!!」
言語で表現できない部分苦しみなど)がたくさんあり、本人も苦しさのごく一部しか表現しきれない。
あなたはどうだろう?
実数の私たちに向かって生きるとわかったからこそ、僕の脳内が「もう限界だ、ついてこれない」悲鳴を上げた。
これの解決は何をしたらいいのだろうか?
脳にとって「解決? そんなもん何もないよ」怒ってる。
僕にとって今までのやり方では全く解決できないが、
未来の自分はすでに解決している
今から1年前を振り返ってほしい。1年前に苦しんでいた問題はあるだろうか? 僕はもう思い出せない。
思い出せないが、色々な悩みは大半が解決した。
あの時は「解決策なんて浮かばないよ」だったのに。
どうやって解決したか? 細かいテクニックは書いても意味がないから書かない。共通して言える対策は一つ。
「この問題が解決しました。ありがとうございます」
先に解決したと祝っておく。今解決策が全くわからなくても「解決した。ありがとうございます」祈るだけでいい。後は脳みそが何らかの形で勝手に気づき、解決に向かっていく。
僕は自分に問いかける。ここからが本題。
「実数の私たち、虚数の私」などを創り出して、自分は何がしたいのか?
実数の私や虚数の私など、ある種の言葉遊びだ。言葉遊びをしたからと言って、あらゆる問題が解決するわけではない。
ただの時間の無駄じゃないか?
と、今の僕は過去の自分をけ見下している。ここで問いかける。
自分を見下している私は、いったいどの自分なのか?
「実数/虚数の私」などを創った私は、いったいどの自分なのか?
僕という人間は肉体が一つだ。一方でけなす私と見つける私、褒める私に自傷する私は別人だ。肉体は一つでも魂は別というべきか。
他人から見れば、すべて僕一人が勝手にあれこれ言ってるにすぎぬ。あなたから見て、僕に気持ち悪さを抱くのでないか?
僕からすると、1と2の自分は肉体を分かち合ってるだけで、思想も哲学も別人だ。だからこそ次の現象が僕の、いや、僕たち(あなた含む)の中で起きている。
僕の精神内で「誰が主導権を握るか」戦争が起きている
この状態は自民党総裁選に似てる。
自民党という右も左も上も下も斜めも、保守も売国もリベラルも無能も有能も……ありとあらゆる上下左右の議員がいる。
上下左右の議員らが立候補して「総裁(与党なら総理大臣)」を決める。立候補者はみんな別々の肉体を持っているから、誰が何を語っているかわかりやすい。
一方僕の精神内は僕一人の肉体に対し、多数の魂が「俺の思想・哲学を基に今後を生きる」主導権争いを繰り広げている。
自民党総裁選に例えると、国会議事堂(=僕一人の肉体)という場所(建物)は一つしかないが、議事堂にはたくさんの議員(僕の中にある複数の魂)がいる。
勝者が「この意識/哲学で生きるよ」決める。
たいてい声の強い不安(虚数の私-)が力を持っている。目先の不安を解決しても、新しい不安に目をやるばかりだ。
将来への不安も一つの哲学であり思想だ。
不安には未来など作れない。
そこで実数の私たちという、僕が創った概念が別の道を用意してくれる。不安で強い声はあらゆる不安や不満に気づかせる問いかけを、僕に行う。
不安は常に自分にピンチが訪れる一方で、未来も大方わかっているから安心できる。
一方で不安以外の道はチャンスも訪れる一方で、未来がちっとも読めないから安心できない。
僕らの主導権争いは「安定している不安」か「不安定な未知」のどちらを歩むかだ。
不安定な未知に挑むほど、実数の私たちが益を得る。
実数の私たちの中には「私」を含んでいる。
僕は実数の私たちが益を得る世界を歩みたい。
実数の私たちに進んだからと言って、環境が劇的に変わると考えていない。ただ現在の私が勝手に「何も変わってない」捉えているだけで、過去の自分から見れば
「こんなこともできてるのか、未来の俺」
意外さに驚いていると思う。
何しろ1,2年前までは3Dゲームなど全く作れなかった。
数年前は作曲編曲なんぞできなかった。20代の自分が今の自分の能力を見たら
「うわ、こんなのもできてるのか、あの頃の俺。でも〇〇は手に入れてないんだ」
いくつか落胆はあれど、驚く部分もあるかもしれない。
僕なりにいろいろ自分と向き合い、戦い、不安や目先の誘惑に負けて悔やみ、打ち勝って、環境はそれほどでも気持ちは大いに変わって、いくつかは自信がついて、今がある。
人生において戦っているからこそ、己の主導権争いがどれだけ重要か。
未来への不安()虚数の私-の声に主導権を握らせると、何もできず進まず、常に自分を見下してばかりいる。
違う存在に主導権を握らせるなら、自分で新しい概念を創らねばならない。他人の概念を使ってもいいが、必ず自分で作らねばならない。他人の概念には「あなたの経験」重要な情報が抜けている。
別の道を歩みたいために、僕は「実数の私たち」概念を創った。
とりあえず僕は「実数の私たち」をまとめようと考えている。
最後にあなたに問いかけたい。
あなたは今、どの魂に主導権を握らせたいのか?
不安ばかりささやく魂か。怒りをつぶやく魂か。
楽しい道が浮かぶ魂か。子供を進化させたい魂か。
僕たちの中にはいろんな魂(人格がある)がある。誰に握らせたいか。きちんと決めておかないと、虚数の私-こと不安か不満の声を持つ魂が主導権を握る。
僕らが進みたい道は虚数の私-でない。実数の私たちがめいめいの益を受け取る道だ。
きちんと進めるために、しっかり言葉を定義し、自分であれこれルールを決めながら、規則を基に進んでいくしかない。
そのためにまずは「自分で把握できている部分と、全く把握できていない"すごい"自分がいる」事実をつかまねばならない。
自覚についてはこちらを音でほしい。
ここまで読んで、あなたがどの道を選び、進むのか。
あなた自身が決めるほかない。
追記:陰謀って「情報×疑心」で生まれるんだな。
支援していただきありがとうございます。支援は僕の作品作りを含め、子供へのお小遣いや楽しいことに貢献します。ありがとうございます