実数の私たちで異なる利益を出す「陰謀」生活習慣2:想像利益
前回(上記事)、こちらでは一つ目の生活習慣として口癖を出した。
「私」から「私たち」へと主語や目的語を変える。
簡単だから忘れやすい。実感がわかないから止めやすい。
私→私たちと複数形にすると「自分一人だけが得をすればいい」より「自分含む、みんなでめいめいの得をする」に視野が変わる。
視野が変わると言動も変わる。
即日では効果がわからなくても、半年前を振り返ると少しずつ「あの頃とは違う気持ち」を実感できる。
本題。口癖よりも簡単に見えて難しい習慣だ。
日々の生活習慣に「実数の私たち」を取り入れる。何をするかと言ったら……と、その前にキーワードの確認をしておこう。
おさらい:虚数/実数の私、私たち
複素数:実数と虚数二つの数を混ぜた数学分野。物理は量子・電磁気で使う。3Dでは四元数という形で物体の回転で使う。
実数:実際に計測できる数。π(円周率)や√5(適当な数字)など。2乗すると0以上の正の数になる。
虚数:本来は「ない」のに強引に「ある」と設定した数。2乗すると負の数になる。末尾に必ずiがつく(i=√-1,i^2=-1)
実数と虚数の定義を基に
虚数の私:自分が把握できてない自分の能力など、本来「ない」はずなのに「実はある・持っている」自分、正負があり、+だと「すごい自信」-だと「ねちねちした不安」に変わる
実数の私:現時点で把握できてる部分。
実数の私たち:実数の私を含む、自分でも気づかないが「いる」複数の人々。実際にいる人々+幻の人々。自分を含む「みんな」
三つの言葉をおさえたうえで……
僕たちが目指す生き方は「実数の私たちが喜ぶ」世界だ。
一方で実数の私たちが喜ぶ状態は、虚数の私-が損をする現実だ。
実数の私たちに向けた生活を送るほど「こんなことしたら、自分ばかり損をするよ」自分の不幸感・欠乏や不足・被搾取感が強まる。
で、今僕たちは「実数の私たちがめいめいの利益を得る」世界に進もうと企んでいるわけだ。そのための訓練として、前回は口癖を書いた。今回はイメージトレーニングだ。
自分の言動が相手にどう「益」となるのか?
利益はお金の側面が強い。
「ああ、よかった」精神満足も利益に含める。
以降「益」と定義する。
僕らの行動がどういう形で周りに益となるのか。
同時にどんな形で未来の自分にも益となるのか。
二つ以上の視点から益を考えていかねばならぬ訓練だ。
自分の損失(虚数の私-)は指摘しなくてもわかる。
一方で自分の得は物品だと簡単にわかるが、精神的なものはわかりにくい。
実数の私たちという、私をはじめ、周りが「こういう形で益を得た」だと、なおさらわかりにくい。
というより基本、浮かんでこない。だから訓練になる。基本考えない行動を意識してやるのだから。
一緒に考えてみよう。特にあなたがnote記事を書いているなら、なおさらだ。
「私の言動は誰々にどんな得をもたらすか」
すぐ浮かんでこないはずだ。普段からあなたが意識しているなら、すっと浮かぶ。
僕もすっと浮かんでこない。むしろ「アクセスが少数なら、いいねが0なら」など、程度の低い未来(虚数の私-の声)が簡単に浮かぶ。
この状態で「実数の私たち益」を考えてみる。
前回の記事は投稿時点から1日で7人に読んでもらった。では僕を含めた8人+多くはそれぞれ、どんな益を分かち合ったのか。
僕はあなたでないから想像でしかない。
僕の益は?
まず僕はどんな益をもらったか……すっと出てこない。
「たった7人ぽっちかよ」はすっと出てくる(笑)
すっと出てこないが重要だ。普段考えてないからすっと出てこないんだ。僕の記事を通して、口癖を少し変えた。口癖を見直した。自分の言葉に気を使った。
より「実数の私たち」を意識した生活を送っている……これくらいだろうか。
あなた含む他人の益は?
ここからだ。あなたは「違う」言うかもしれないが、違ってていい。
あなたが僕の記事を読んで「こういう考え方もあるのか」や「口癖ってこういう意味があるのか」など、当たり前と思っている物事、特に意識もしていなかった物事について「意味と役割そして効果」をつかめた。
結果、今まで素通りしてた行為を見直すようになった。
という意味で益を得ている。僕が考える「読者が得た益」の一つであり、ほかの人は違うだろう。
ここでふっと浮かんできた言葉がある。
他人の得を考えるなど無駄
誰が「他人の益を考えるなど無駄」思ったのか。
虚数の私-が「非効率で無駄な時間を過ごす」ささやいている。
他人の益を考えるとは、虚数の私たちを考える状態だ。
実際に他人が僕の考えた益を得ているかどうかはわからない。あくまでも想像の範囲でしかない。想像の範囲が虚数の私たちを示している。
虚数の私たちを考えるから
実数の私たちが何らかの形で、本人にとってそれぞれの益を得る。
未来の僕とあなたが受け取る益は違うし、似てるかもしれないし、全く同じかもしれない。
実例としてこちらの話がある。
益はみんな異なっていていい。
実数の私たちがいかにして益を分かち合うか。私たちの益を考えるからこそ、自分を含んだ立場にも気を配り、未来が広がる。
虚数の私-の声ばかり聴くと未来が閉じられ「何もできない、何しても無駄」になる。
実数の私たちに目を向けるからこそ「できること」が増えて、可能性が広がる。
僕は未来の広がり(ただし予測不可)こそが、一番の益と確信してる。
あなたはどうだろう。ここまで僕たちには二つの選択がある。
虚数の私-(自分だけの不安)の声を聴くか
実数の私たちに目を配るか。
簡単だが怒りや不安がたまりやすい、自分の未来を閉じる側は虚数の私-だ。
「私だけが不幸で、最も満たされない」文句を言えばいい。
実数の私たち(私やあなた、その他大勢)がめいめいの得を受け取る生き方に、今は焦点を当てている。
程度の低い虚数の私-に満たされているなら、自分の欲求(やりたいこと)に向き合い、しっかり応える生き方を送ればいい。
「私だけ不幸で怒りだらけ」な生き方は、己のニーズにすら目を背けて生きている。
実数の私たち益を考えるとは「自分が何をするか」を表す生き方だ。最も楽しく厳しい人生だ。
周りを呪ったり怒ったり、自分を不幸のヒロイン扱いしてるほうが楽な生き方だ。今ここを読んでいるあなたは、すでにわがままの領域を越えている/越えたいと考えている。
あなたの心は今、何をどうあなたに訴えているのだろうか?
最後に「前回って何?」思ったら、こちらを読んでね。