世紀末ウィーンのファム・ファタール、天才たちを虜にした女性 ~アルマ・マーラー~
8月31日は、オーストリアの女性作曲家、アルマ・マリア・マーラー=ヴェルフェルが生まれた日。( 1879年8月31日 – 1964年12月11日)
彼女は絶対的な妖精と呼ばれ、
美術(クリムト)、音楽(マーラー)、
建築(グロピウス)、美術(ココシュカ)、
文学(ヴェルフェル)と
あらゆるジャンルのトップの芸術家たちを魅了し、
彼らの創作意欲を刺激した。
ウイーン出身。
画家エミール・ヤーコプ・シンドラーと
アンナ・フォン・ベルゲンの間に生まれる。
アルマが13歳のときに父が亡くなるも、
幼いころから「(芸術の)神様たちと遊びなさい。」と言われ、生涯を通してその教えを忠実に実行した。
ブルジョア階級の家庭で、
母アンナは芸術家サロンの主宰者であった。
アルマは少女時代から絵画、文学、哲学、作曲に触れながら育ち、その卓越した才能を発揮していった。
他方、その類まれな美貌で多くの男性芸術家をとりこにした。
最初に選んだ神様はグスタフ・クリムト。
アルマ一家が引っ越す度にクリムトがついて行ったというくらい虜になっていたといわわれている。
また、アルマに失恋したことによって、
官能的に満ちた挑戦的な作品を描くようになったそう。
その後、新進気鋭の作曲家アレクサンダー・ツェムリンスキーとの恋を経て、音楽家のグスタフ・マーラーと結婚。
マーラー作曲の「交響曲第5番」の楽譜の表紙には
「私の愛しいアルムシ(アルマの愛称)、
私の勇気ある、そして忠実なる伴侶に」と記され、
「彼女は私を愛している。この言葉にわたしの人生すべてが含まれている。この言葉が言えなくなったとき、私は死ぬだろう。」と予言。
バウハウスの創設者、建築家のヴァルター・グロピウスに恋をしたと知ったマーラーは、自身の予言通り51歳でその生涯を終えた。アルマはまだ31歳。
グロピウスが出征中、新進画家で7歳年下のココシュカと出会い、恋人になるも36歳でグロピウスを選び再婚。
が、やがてプラハ出身のユダヤ人で11歳年下の新進作家フランツ・ヴェルフェルを愛人にし、1929年にアルマとグロピウスの結婚は破綻する。
その年、49歳のアルマはヴェルフェルと3度目の結婚。
第二次世界大戦に突入するナチスのオーストリア併合後、
アルマはユダヤ人の夫ヴェルフェルとウィーンからロンドンを経てフランスに。
ヴェルフェルは、1941年に小説「ベルナデットの歌:Das Lied von Bernadette」を発表し、翌年、アメリカに亡命し南カリフォルニアにたどり着く。
しかし間もなく1945年にヴェルフェルもロサンゼルスで急死。
夫の死後、ニューヨークに移り住んだアルマは85年の生涯を閉じた。
彼女の生前の言葉。
『結婚‐それは国に許可された専制政治。』
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