愛と闘争の物語ーマルグリット・デュラスー
4月4日は、フランスの小説家、脚本家、映画監督、マルグリット・デュラスが生まれた日。(1914年4月4日 - 1996年3月3日)
今世紀最大の女流作家。『愛人 ラマン』でフランスで最も権威のある文学賞のひとつであるゴンクール賞を受賞。『モデラート・カンタービレ』等、多くの傑作を残した。
【生い立ち】
フランス領インドシナのサイゴンに生まれる。父アンリは現地校の校長で、母マリーも同じく教師として移住していた。2人は、人種、さらにはジェンダー差別も激しかった。少女デュラスは、女だからと蔑まれる親への憎しみと、相反する愛情、そして暴力的な長兄による虐待に見舞われ、過酷な子ども時代を送った。
父は、デュラスが7歳のとき、亡くなる。その後、貧しさから、15歳のデュラスは、華僑の裕福な28歳の男性にお金で買われた。
人種差別による屈辱と貧しさからくる卑屈さで当初は彼女を激しく罵倒した母は、結局 買春行為を見て見ぬふりをする。
その後、法律を学ぶため、1932年にフランスに帰国し、パリ南部近郊ヴァンヴに居住。パリ大学で法律・数学を専攻し、政治学のディプロムを取得。
【作家デビュー】
1943年、処女作『あつかましき人々』を発表する。
【私生活】
第二次世界大戦中、結婚した夫ロベール・アンテルムと共にレジスタンスとなり、彼は逮捕・拘束。収容所から命からがら救い出されたときには体重わずか38kgまでやせ細っていた。過酷な運命を共にしたものの、デュラスにはすでにディオニス・マスコロと愛人関係にあり、離婚。
【愛人/ラマン】
そして1984年、自身の少女時代の性体験を描いた『愛人/ラマン』を発表。
フランス女性と中国男性との赤裸々な性体験は文学者たちによる絶賛を受け、異例のゴンクール賞を受賞し、世界的ベストセラーとなった。
1992年にはフランス・イギリス合作で映画化され、この映画『愛人/ラマン』も原作同様ヨーロッパでヒットした。
38歳年下のヤン・アンドレアと80年代から最期まで事実婚をした。
【晩年】
1996年、「これでおしまい」(原題 C'est tout)遺稿。3月3日にパリの自宅で死去。享年81歳。
”18歳でわたしは年老いた。あの青年と出会ったのは、靄にけむる暑い光のなか、メコン河の渡し船のうえだった。すべてが、死ぬほどの欲情と悦楽の物語が、そのときからはじまった。”
『愛人/ラマン』より
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