最も偉大な古生物学者と称された化石ハンター
5月21日は、19世紀のイギリスの化石ハンター、メアリー・アニングが生まれた日。
魚竜のイクチオサウルスや首長竜のプレシオサウルスの全身骨格の発見者として知られている。
英国科学史ジャーナルは、メアリー・アニングを「世界の歴史上で最も偉大な古生物学者」と称賛している。(1799年5月21日 - 1847年3月9日)
【生い立ち】
ドーセット州ライム・リージス出身。
家具職人で生活費を稼ぐために化石を採掘し観光客に売っていた父リチャードを11歳で亡くし、メアリーも働かざるを得ない環境だった。
メアリーは幼い頃より化石の採集法について父親から教えてもらっていたため、ジュラ紀の地層が露出した海岸で化石を探しては、これをコレクターに売ることで生計を立てるようになる。
【イクチオサウルスの発見】
12歳のとき、イクチオサウルスの全身骨格の化石を発見。これは重要な発見で、化石はすぐに王立協会の手に渡った。これをきっかけに、本格的に化石採集に力を入れるようになる。
メアリーの評判が高まると、彼女はリンカンシャーの裕福な化石収集者であるトーマス・ジェームズ・バーチの目に留まり、援助を受けるようになる。安定して化石採集を続けられるようになる。
22歳になると、プレシオサウルスの骨格化石を初めて発見する。メアリーの発見した化石がその後タイプ標本となった。
その後、1828年には新種の魚の化石やドイツ以外では初めてとなる翼竜(ディモルフォドン)の全身化石などを発見した。
【女性というハードル】
30代後半になると、イギリス学術振興協会から収入を得ることになったが、女性であるという理由により本や論文を出版することは許されなかった。ヴィクトリア朝時代のイングランドにおいて、労働者階級の女性が教育を受けられる階級の男性と同じ仕事に携わっただけでも異例のことだった。
ロンドン地質学会の名誉会員に選ばれた数ヶ月後、メアリーは乳がんにより亡くなった。享年47歳。
メアリーの死後、ロンドン地質学会は彼女を追悼して教区教会の聖ミカエル教会にステンドグラスを作った。
銘には「このステンドグラスは、1847年3月9日に亡くなったこの教区のメアリー・アニングを追悼するために作られたものである。これは、司教代理とロンドン地質学会の会員有志によって、彼女の博愛、高潔と地質学への貢献を記念して作られた。」と書かれている。
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